渋沢教会
更新日:2015.06.21

6月14日 御言葉の説教「あなたは何を信じるか?」

大井 啓太郎牧師
ヨシュア24:14-15
ヘブライ13:9,14-16

挨拶

 おはようございます。少しどんよりとした朝を迎えました。 昨日は、無事チャペルコンサートを開くことができ、多くの方がお見えになりました。 トリオ・ディヴェールの姉妹方の演奏と証しは、本当に素晴らしものでした。 今回、CDの販売がありませんでしたので、お聞かせすることはできないんですが、S兄が個人的に録音されていたようなので、 興味のある方は、聖君に聞いてみてください。それでは、いつものように、お近くの方と主のみ前に集うことができたことを感謝して、 「あなたに平和があるように」という意味の「シャローム」「エイレーネー」「エレーネー」とご挨拶しましょう。それではどうぞ。


1.何を信じるか?

 さて、さきほど、子どもたちに、小児がんの子どもたちのために自分の髪の毛を伸ばしたクリスチャンくんの話をしましたが、 彼は、どうしていじめられてまで、2年半も他の子どものために髪の毛をのばしたのでしょうか?それは、それが素晴らしいことだということを知っていたからです。 彼には人がどういう時に悲しみ、どういう時に喜ぶか知っていました。自分の持っている素晴らしいきれいな髪の毛はきっと役に立つと信じていたのです。

 信じるということほど、人間的な営みはないと思います。 だからこそ、今大問題になっている様々な詐欺は、人間同士の信頼関係を損ねる、殺人にも匹敵する悪質な犯罪だと思います。 人の言葉が信じられなくなる時代、道でこどもに道を尋ねようものなら、もうそれだけで不審者扱いされてしまう時代、 積極的平和主義という言葉で平和憲法を骨抜きにしようとしている権力者、おそろしい犯罪を犯す宗教団体… もう、私たちは何を信じたらいいのか分からない時代に生きていると言えます。


2.神様を信じる

 だからこそ、私たちは本当に、間違いのない貴いものを信じたいのです。昨日、夜にBSのTBSで「ベン・ハー」という映画をやっていました。チャールトン・ヘストン主演の3時間を超える大作です。古い映画ですがアカデミー賞を11も受賞した作品なのですが、原作は、アメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説で A Tale of the Christ、副題『キリストの物語』)という、副題がついています。

 彼は、この小説を書く前に、神はいないという本を書く予定だったそうです。しかし、調べているうちに、神の存在を否定できなくなり、とうとうこのベン・ハーを世に送り出してしまったのです。実は、今日その後編を放映するそうですから、是非ご覧ください。


 今日の聖書には、「異なった教えに惑わされてはいけません」とありました。

 多くの教えがあります。神様が大勢いたり、これを食べてはならないとか、しかしそれらは本質的なことではない。神様は私たちをどのように見てくださっているか、それが大事なのです。

 聖書が語る神様は、人を愛しておられ、人の犯した罪を赦すために、主イエス・キリストをお遣わしになったというのです。そして、死から始まる新しい命のために天の国を用意してくださっているというのです。

 クリスチャンは、禁酒禁煙するものだと思われています。 確かに、神様から頂いた体を健康に保つことは大切なことですが、そうしなければならないというのではないのです。それは、結果であって目的ではないのです。


 主なる神様が求めておられるのは、「実を結ぶ」ということ。それは自分自身もキリストにつながり霊の実をつけるということもそうですが、実を見れば、その木が栄養分をいっぱい吸っている健康な木であることが分かります。手入れが行き届いていることも分かるでしょう。そして、素晴らしいとの感動も起きるのです。もし私たちがそのような実であったなら、きっと「どうしてこんな素晴らしい実がなるんだろう」と周りのものは気になりだすのです。

 神様は私たちのお父さんですから、私たちが霊的に成長することを喜び、また誇らしく思ってくださるのです。 私たちの父なる神様が願っておられること、それが霊の実を結ぶということなのです。


 その実は、必ずあなたの周りの人々を変えていきます。最初は不思議に思っているだけかもしれません。しかし心の中では何らかの変化が起きているのです。ある姉妹の未信者のご主人が、治る見込みのない病に倒れました。一生懸命介護をされるその姉妹のすがたをみて、その方は「私もあなたが信じている神様を信じたい」と洗礼を希望されたのです。


 「旗色を鮮明にする」という言葉があります。日本においては、キリスト教は約1%の少数派です。主イエスキリストを信じていることは、決して生きやすいことではない。しかし、先ほどの少年のように信じる者のために生きることは無駄にはなりません。