渋沢教会
更新日:2015.07.20

7月12日 御言葉の説教「レギオン、住所・墓場」

大井 啓太郎牧師
イザヤ65:1-7
マルコ5:1-20

挨拶

 おはようございます。今日はなにもしなくても汗が噴き出るような朝を迎えました。先週は、お祈りいただきましたJCGIの研修に行ってきました。 詳しくは、受付でお配りいただいた報告をご覧ください。


 それでは、いつものようにお近くの方と主のみ前に集うことができたことを感謝して、「あなたに平和があるように」という意味のヘブライ語の 「シャローム」ギリシャ語の「エイレーネー」「エレーネー」とご挨拶しましょう。それではどうぞ。


1.序

 さて、皆さんはいろいろな人の訪問があると思うのです。嬉しくない訪問者もいます。愛する皆さんはどのような誰を思い浮かべるでしょうか。 忙しい時のセールスマン、ご近所の人でも、苦手な方はいるかもしれません。今朝の聖書箇所で主イエス様は、まさに嬉しくない訪問者でした。

 主イエス様はガリラヤ湖のほとりで、神の国について人々に教えておられました。主がなされる多くの癒しや、主が語られる神の国についてのたとえに、 ある者は驚き、感動し、そして、ある者はその意味が分からずにいました。弟子たちの多くもまた、主が語られるたとえで示された福音を、 主ご自身から解説していただかなければ、しっかりと理解することが出来ないのでありました。

2.聖書から

 嵐を静められた主イエス様が一晩嵐に苦しんだ次の日の朝、対岸のゲラサ人の地に着くとそこでも主イエス様の助けを必要としていた人に出会います。 彼(マタイ福音書では2人)は悪霊に心を支配され、凶暴で墓場で寝起きをしていた者でありました。 「墓場」とありましたが、私たちが想像するような墓場ではなく主イエス様が葬られた時と同じような横穴が開けられているような場所でした。 しかし墓場が住まいというのは象徴的です。彼は叫んでいました。自分が自分でないような苦しみ。 家族からも仕事からも引き離された苦しみ。まさに彼は人生のどん底、人生の墓場に置かれていたのです。

 この時、彼は遠くからイエス様を見つけると走り寄ってひれ伏したと6節に書かれています。 悪霊は、イエス様と対決するのではなく、逃げだすのでもなく、「構わないでくれ、苦しめないでくれ」と願うのです。 この言葉に、主イエス様は、この悪霊の名前を聞きました。名前を聞くというのは、主イエス様は関心をもったということです。 その悪霊はレギオンと名乗りました。このレギオンというのは、元の意味はローマ軍団(6千人)の呼び名でしたが転じて多数を意味します。 この悪霊はさらに豚に入らせてくれと願い、主はそれを許したため、レギオンは近くにいた豚2000頭に入ったのです。

 イエス様が悪霊が豚に入ることを許したのも不思議ですが、この後豚がガリラヤ湖へ飛び込んで死んだのはもっと不思議なことです。 こんなことなら最初からこの人から出ていっても同じことでしたから。しかし、ここにレギオンの策略があったのです。 豚はユダヤ教では汚れた動物とされていましたが(レビ11:7, イザヤ65:4)、異邦人は食したので立派な財産でした。 悪霊は豚を溺死させることで、飼い主たちが、主イエスをこのデカポリス地方から追い出すことを計画したのです。 実際大事な財産を失う羽目になった人々は、悪霊から解放された人の無事を喜ぶのではなく、主イエス様に出ていってくれと主を追い出すのです。 彼らにとって主は嬉しくない訪問者になったのです。私たちはこの人々の姿に人の救いより自分の財産を大切にする「己の心」を見るのです。 福音ではなくこの世の生活を大切にしてしまう己の姿を見るのです。


3.主の大逆転策

 悪霊たちの最後の策略はまんまと成功し主は伝道することなく立ち去る事を余儀なくされます。マタイ福音書では、主イエス様は無言で、その場を立ち去られます。 人の弱さを主は十分知っておられたのです。しかし、主には秘策がありました。それは、悪霊に取りつかれていた人でした。 彼は、舟で戻られようとするイエス様に一緒に行きたいと願い出ました。いつものイエス様なら、「私に従いなさい」というところですが、 彼にはそれを許さず、また、ユダヤ地方ではイエス様は自分のことを言い広めないように言うのですが、ここでは「ことごとく知らせなさい」と言われたのです。 彼は自分の身に起きたことを証しし、福音の使者としてデカポリス地方の人々に主イエス様の素晴らしさを伝えたのです。 人生の墓場にいた人がこうして豊かに用いられました。このような全てを益となされる主のご計画があったからこそ、主は悪霊の名前を聞き、 豚に入ることを許されたのでしょう。異邦人であるイエス様一行がこの土地で宣教するにはいろいろな制約があったはずです。 しかし、悪霊に取りつかれていた彼なら、多くの人が彼のことを知っていましたから、より信じる人が起こされたのではないかと思うのです。 彼は立派に13番目の弟子となったのです。


4.私たちへの適用

 この箇所から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。 まず第一に、先にも言いましたが、悪霊に取りつかれていた人の救いよりも自分の富を大切に思った人々の姿は、私たちの姿だということです。 福音を喜べないように悪魔は様々な罠を巡らします。ヨブ記に出てくるヨブがあった試練のようにお金や財産を奪って、神様から心を離れさせようとします。 全てを益として下さる神様から離れないように、信じることが大切です。 また、主なる神様はいろいろな形で私たちを用いられます。遠い海外に遣わされることばかりが宣教ではないのです。 この人のように、身近な人々に自分に起きたことを証しすることこそ、大切な働きなのです。あなたでなければ伝えられない人がいるのです。