渋沢教会
更新日:2015.08.16

7月19日 御言葉の説教「あなたは何を信じるか」

大井 啓太郎牧師
イザヤ43:8〜12
マルコ5:21〜43

 

 主イエス様は、娘を助けてほしいという会堂長ヤイロの願いを聞き、ヤイロの家に向かっている途中この出来事は起こりました。 一人の女性が主イエスの服に触れたのです。その女性は12年、出血が止まらない病に苦しんでいました。 当時のユダヤ教の教えにはこの病気は「汚れ」とみなされていました。民族的な苦しみがあったのです。 (レビ15:25以下参照)肉体的・精神的な苦痛、そして孤独はどれほどだったでしょうか。彼女は群衆の中から、そっとイエス様に触れました。 とにかく、イエス様に触れさえすれば治ると信じていたのです。そして奇跡は起きました。彼女は癒されたことを知ったのです。

 主イエス様は、自分から力が出て行ったことを知りました。イエス様はこの女性を探しました。「私に触れたのは誰か」と。 イエス様は何かお礼を言ってほしかったから探したのでしょうか。イエス様は、この者に声をかけずにはいられなかったのです。 弟子たちは、こんな大勢いるんですから、誰が触ったっていいじゃないですか、はやくヤイロさんの家に行きましょうと言わんばかりでした。 しかし主イエス様は、そうはされませんでした。彼女との人格的なふれあいを残したかったのです。この女性に安心してもらいたかったのです。 34節「安心して」という言葉にその思いはこめられています。病気だけでなく、女性として、一人の人間として、主は命を救ったのです。 そして死んでしまったと思われていたヤイロの娘もまた、「娘よ起きなさい」という言葉に起き上がったのです。

 私たちキリスト教は、ご利益宗教はいけないとか、三位一体を信じないとキリスト教ではないとか、教理的なことをいろいろ問題にしますが、 今日のみことばにあるのは、「ただ主イエスを信じる」ということのみです。このようなまっすぐな信仰を私たちは忘れていないだろうか、と考えさせられるのです。