渋沢教会
更新日:2015.08.27

7月26日 御言葉の説教「キリストの教会こそ、この世の希望です」

平 尚紀教職志願者
イザヤ60:1〜7
IIコリント4:5〜7

 

 今の日本は、「若者が将来に希望を持てていない」と言われます。若者が自分の将来に希望を持てないのです。 また、平和のためと言いながら、平和憲法をなし崩しにしようとする現状があります。このようにこの世界は、今も闇に覆われているのです。 人間の欲は留まることを知らず、経済大国であっても、財力、権力、軍事力をさらに手に入れようとしています。 安心、安全、平和のためと言いながら科学技術の進歩は止めることができず、環境破壊どころか、社会倫理までなし崩しにしています。 経済優先主義は、自然破壊や健康被害などの犠牲を無視し、経済活動を優先してしまうのです。日本だけでなくこの世界は、いまだ人間による闇が蔓延しているのです。

 イエス・キリストは、公生涯を始められる前に、サタンから3つの誘惑を受けられましたが、その生涯にわたって、サタンの誘惑に打ち勝ち続け、 一切の闇を持ちませんでした。ゆえに、イエス・キリストこそ、この世の光であると言うことができます。 そして、教会はキリストに倣い、キリストに従う共同体です。イエス・キリストこそ、この世の光であるのなら、キリストに従う教会こそこの世の光なのです。

 私がキリストに従う生き方をしたいと思った矢先、東日本大震災が起こりました。 ボランティアで何度も足を運んだ気仙沼は津波の被害も大きかったのですが、火災で多くの犠牲が出ました。 三日三晩、重油による真っ赤な炎と真っ黒な煙に包まれました。火災も静まった3日目の夜、今度は暗闇が襲ってきた。 真っ暗な夜はものすごい恐怖を与えたそうです。しかしふと上を向くと、そこには今まで見たこともない満天の星空が広がっていた。 その時、初めて神は私たちを見捨てていないと感じた。と気仙沼の牧師は語っておられました。もうダメだと思った矢先に満天の星空によって光が与えられた。 その直後に支援の手が届けられ、この教会は惜しみもなく人々に分け与えたのです。光は、希望は分け与えることができるのです。 つい私たちは、もっと明るく求めてしまうのですが、そうすると、満天の星空を見失うのです。本当の光を見失うのです。

 イエス・キリストは、自らを無にして、人間と同じ姿になり、自らを与えこの世の光となられました。そしてその光が今、私たちの心の内に輝いているのです。

 渋沢教会のこの1年の標語である「心の戸口を開ける」とは、そうした弱さ、欠けをさらけ出すということではないでしょうか。 私たちは、器を誇るのではなく、そこに納められている宝を誇るのです。キリストの教会こそ、この世の希望なのです。