渋沢教会
更新日:2015.09.06

8月30日 御言葉の説教「逆風」

大井 啓太郎牧師
詩118:1〜8
マルコ6:45〜56

 

 主イエスは、弟子たちを舟に乗せペトロやアンデレの故郷のべトサイダに行かせました。 弟子たちのために、主は人々を解散させ、一人、祈るために山に行かれたのです。 父なる神に祈るひと時こそ、主イエス様にとって最高の休息だったに違いありません。

 しかし、弟子たちはトラブルに見舞われていました。逆風で全く先に進めなくなっていたのです。 主イエス様はそのような弟子たちのもとに、湖の上を歩いて舟に来たのです。48節は「通り過ぎようとされた」と不思議な書き方をしています。 これは主が助けてくれないのではないかという弟子たちの気持ちを表しているのかもしれません。 実際私たちも全くそんなことはないのに疑心暗鬼になって相手を疑ってしまうことがあります。主は弟子たちのために山から彼らの元に来られたのです。 遠く山で風を鎮めてくださることもできたはずです。しかし、弟子たちの元に平安を届けるため主は湖の上を歩いて行かれたのでした。 しかし、弟子たちは、幽霊と思いさらにパニック状態になってしまいました。そこで主は言われました。「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と。 この安心しなさいというギリシャ語の元の意味は「大胆」「勇気」「元気」というものです。

 主が舟に上がると風は収まりました。弟子たちはここでも、主イエスの不思議さに驚きました。 弟子たちはつい先ほどまで、5000人の給食の出来事を体験してきたばかりです。それでも疑い、驚いてしまう。 いつも助けられているのに、そのたびに主を見失い、疑ってしまう私たちと同じです。彼らはやっと陸に上がることができました。 しかし、その場所は当初の目的地であるべトサイダではなく、ゲネサレトだったのです。

 計画通りに行かない逆風。そこで私たちは主の力と深いみ旨を知るのです。救いを求める声のある所こそ、主の目的地だったのです。 逆風の先にあるもの、それは永遠の命です。「安心しなさい、大胆に行きなさい、私だ、私はここにいる」