渋沢教会
更新日:2015.10.05

9月13日 御言葉の説教「救いの面接」

大井 啓太郎牧師
列王記下8:7〜15
マルコ7:24〜30

 

 主イエス様と弟子たちは、ゆっくりするために、この異邦人の地ティルスまで来たのです。 私たちは、弟子たちが宣教旅行からずっと働き通しであったことを見てきました。 リフレッシュするために彼らは、ここまで来たのです。ですから、「誰にも知られたくなかった」のです。 しかし、やはりここでも、主イエスのことが知れ渡っていました。ここにギリシャ人で、シリア・フェニキアの生まれの女性が訪ねてきて、 娘を悪霊から助けてほしいと主イエス様に願ったのです。

 しかし、そんな母親の願いとは裏腹に、主イエス様は、冷たい態度を取られました。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。 子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」(27節)この子犬というのは、異邦人に対して使われた言葉でした。 ユダヤ人は汚れた存在として異邦人を犬と呼んでいたのです。イエス様はあえて、やんわりとこの母親の願いを断られたのです。 しかし、母親は食い下がりました。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」と。 なぜ、主イエス様は、この時このような冷たい態度をとったのでしょうか?

 異邦人だったからでしょうか?主は、悪霊にとりつかれ、墓場でさまよっていたゲラサ人や、ローマの百人隊長の娘も救いましたから、 そうではないのです。異邦人の彼女の思いを確かめたかったのです。彼女を面接したのです。私は中会教職委員会で、教職志願者の面接をすることがあります。 みんな牧師になってもらいたいという思いつつ、その人がしっかりと牧師の道を歩んでいけるのか厳しい質問を投げかけることもあるのです。 主は母親の答えを聞き、「よろしい」と娘を癒されたのでした。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7章7節)。彼女はこの一言によって、このみ言葉の証しをしているのです。