渋沢教会
更新日:2015.12.23

11月15日 御言葉の説教「信仰のない時代」

大井 啓太郎牧師
ダニエル3:14〜18
マルコ9:14〜29

 

 ラファエロが描いた「キリストの変容」という有名な絵画を見ると、今日の聖句について大切なことが教えられます。下にいる弟子たちと群衆はみな、悪霊がとりついた子どもに視線を向けています。その中でその子の父と母が、まるで途方に暮れたように彼らを見ています。この下方に描かれた群衆は、誰一人頭上を見上げていません。ただ一人、悪霊に取りつかれた子を除いては。まるでキリストに触れようとするかのように右手を高く上げ、その口は何か叫んでいます。彼だけが、その見えない眼で、確かにキリストを見ているのです。ここにラファエロが表現しようとした「信仰のない時代」があります。子どもの周りで、子どもを置いてけぼりにして、大人が議論ばかりしている。イエス様はそのような群衆の姿に、「信仰のない時代」と嘆かれたのです。

 父親はイエス様に、22節「できることなら癒してください。」と主の力を半ば見限っていました。あきらめていました。主イエスはそのような父親に対して、「できればというのか」と問われました。父親はここではっとさせられます。なかばあきらめていた心に信じる気持ちが沸き起こったのです。「信じます、不信仰な私をお助け下さい。」彼は叫びました。主イエスは「信じるものには何でもできる」と言われました。

 しかし、先週、フランスで爆弾テロ事件が起きました。このような事が起こるたび、信仰とは何だろうかと考えさせられます。互い全く正反対のことを祈る。そしてそれを実現しようとする。信仰などもたないほうが、良いのではないか?多くの日本人が思っているように一つの宗教に凝り固まるといいことがないのでしょうか?しかし、やはり私は思うのです。悲しみが平安へと喜びへと変えられる経験、それは信仰の故なのです。神がこの世界を平和へと導いて下さることを信じましょう。「信仰のない私をお助け下さい」