渋沢教会
更新日:2015.12.24

11月29日 御言葉の説教「キリストの味方」

大井 啓太郎牧師
民数記11:27-29
マルコ9:38-41

1. 挨拶

 おはようございます。寒い朝を迎えました。今日からアドベント、待降節に入りました。昨日は、外にイルミネーションをつけたり、アドベントクランつを作ったり、その準備を楽しい曲を聴きなが行いましたが、アドベントはやってくるという意味で、わくわくするものですが、説教壇の紫の布は、レントと同じように悔い改めを意味しています。主を私たちの心にしっかりお迎えできるように心静めてクリスマスを迎えたいものです。


 それではこの朝も、主の前に共に集うことができたことを感謝して、お近くの方同士「平和があるように」と握手を交わして挨拶をいたしましょう。ヘブル語の「シャローム」、ギリシャ語の「エイレーネー」、先週学んだポルトガル語の「ア パース デ セニョール」でも構いません。それではどうぞ。


2.聖書から イエス様の名前を使う怪しい人物

 さて、今朝与えられているマルコ9:38-37を見ていきましょう。先週私たちは、弟子たちが誰が一番偉いかで言い争いをしていたことを読みました。今日与えられている聖書の出来事も、実は弟子たちの同じような気持ちから出ていることがわかります。イエス様の名前を使って悪霊を追い出している人を見かけて、自分たちが本当の弟子だ、誰の許しを得て、イエス様の名前を使って悪霊を追い出しているんだ、特許侵害だとは言いませんでしたが、私たち以外でイエス様の名前を使うなんて許せない。これが弟子たちの思いでした。このことを弟子の一人ヨハネがイエス様に報告をしています。


 この物語を読んでいて思い出すのが、水戸黄門のにせの黄門様がでてくる場面です。名前を使ってVIP待遇をしてもらっているところに、本当の黄門様一行がやってきて、お供の助さんや格さんが怒るところを黄門様がなだめる。水戸黄門の脚本家は聖書のこの物語を下敷きにしたのではと思うぐらいです。


 ここだけ読めば、弟子たちの主張はもっともだと思います。どこで見たのか、聞いたのか、イエス様や私たちがしていたことをただ真似するだけで、名前を使って、お金儲けに利用するなんて、許せない。同じような出来事が使徒言行録19:13−14に記されています。そこではユダヤ人の祈祷師がイエス様の名前を使って悪霊を追い出そうとしたところ、逆にお前なんかは知らないと逆にやられてしまうのです。「p251」

 私も同じような人がいたら弟子たちと同じように思います。現代では、キリスト教と言いながら、数珠を売っていたり、聖書にしるされていない教えを説く異端と呼ばれる教えが存在します。非聖書的で、また反社会的なそのような団体によってキリスト教会全体が不審がられたり、主の名が傷つけられることは許しておけない思いになります。


この時のヨハネもイエス様によくやったといわれることを期待していたのではないでしょうか?

 しかし、主はお許しになるのです。なぜでしょうか?


3. 許しなさい・受け入れなさい

 この出来事を真っ先に報告したヨハネはイエス様からボアネルゲス、雷の子というあだ名を兄弟のヤコブとともにつけられていました。ヨハネとはもともと「神は恵みぶかい」という意味ですから、名前とは正反対の気性の激しい人だったのです。

 イエス様はそんなヨハネのことをよく知っていましたし、何よりイエス様は、罪を赦すお方だったのです。39節「」 自分たちが知らないところで、主の噂はひろがり、キリストの名前が求められている。


 昨日、外でイルミネーションの飾りつけをしていたとき、一人の男性が話しかけてきました。その方は青山大学を卒業して、キリスト教にふれたことがあるというのです。その人は残念ながら知識としてキリスト教に触れただけで、神の愛の本質を受け入れていないことが、話していてわかりましたが、そのような人を礼拝に来ないから駄目だと、決めつけてはいけないのです。たとえそれがまだ、本物ではなくてもいつかは出会うことがある。


4. 適用

 私たちは、ややもすればクリスチャンかそうでないという枠で人を見がちになってしまいます。それは、例えば日本人か、外国人かとか、男か女かとか、正社員か、派遣社員か、独身か、既婚か。そのような目で人を判断すると思わぬ間違いを犯すことになる。

 クリスマスが日本の年中行事になり、本当の意味が分からないでクリスマスを祝う人の中から、主の名を呼び求める人が出てくるのです。