渋沢教会
更新日:2016.1.22

12月27日 御言葉の説教「心の扉を開いた1年だったか」

大井 啓太郎牧師
詩編15:1-5
マルコ2:13-17

1. 挨拶

 おはようございます。2015年最後の主の日を迎えました。先週は主のご降誕をお祝いして、ご一緒にクリスマス礼拝とキャンドルサービスをもつことができました。しかし今年は温暖化の影響か歴史的な暖冬でスキー場にも雪が降っていないそうです。いつもは寒いニューヨークでも半袖でクリスマスを迎えたとニュースで流していました。南半球では今が夏ですから、サンタクロースの格好をしてサーフィンをしている人もいるそうですが、日本でもそう遠くない日、半袖のサンタクロースの衣装が売られるかもしれません。

 それでは、1年ともに主に従って歩めたことを感謝して、お近くの方と今年最後の「シャローム」、ギリシャ語では「エイレーネー」「エレーネー」とお互い挨拶いたしましょう。それではどうぞ。


 この季節、私はいろいろな思い出があります。私が洗礼を受けたのも12月でしたし、息子と娘が生まれたのも12月です。また、牧師の按手を受けたのも、クリスマス前のこの時期でした。また、妻のお母さんの誕生日が12月25日なのです。そしてやまばと学園での仕事・・・。このように、私にとって、このクリスマスの時期は他のどんな月にも増して、新しい出来事、新しい希望と結びついた月なのです。そして、実際クリスマス、キリストの誕生は私たち全てのものに新しい希望が与えられた出来事でした。


2.2015年を振り返る

 さて、皆さんは、この年どんな計画を立てられたでしょうか?そしてそれは実現できたでしょうか? 私自身としては、渋沢に赴任して5年目を迎え、教会の将来を考える一年だったように思います。3月に介護福祉士に受かり、祈りに支えられJCGIの学びを始めて、2017年の教会設立60周年に向けてよい刺激を受けてきました。もっと皆さんと教会の将来について今できることがなんであるのか話し合いたいと思っています。

 また、へるぱーずを立ち上げ、これから増えるであろう送迎の基礎ができたことも良かったことでした。また、やまばとハウスの働きをはじめることができ、出会いが広がりました。実際、先日のキャンドルサービスには、やまばとの職員さんが来てくれました。教会の主題である、「心の扉を開く」ことを念頭に行動した結果、多くの可能性が生まれました。


 しかし、悲しいこともありました。個人的には、妹が亡くなりなんともいえない喪失感を感じています。ふっともう天国に行くまで会えないんだなあと、寂しさを感じます。しかし、スカイプででしたが、最後は共に礼拝を守ることができました。遠方の方とこのような形で礼拝を共にできたのは、嬉しいことでした。例えば、IさんやTさんなど普段出席できない方々とも、これからは一緒にスカイプで礼拝できる可能性が拡がりました。

 Iさんも病院から施設に移られ、礼拝出席が困難になりました。Oさんの送迎の時のように、最初は家族しか認められないという困難に思えるような事柄も、少しずつ、誠意をもってクリアしてきましたから、Iさんも何とか月に1回でも礼拝出席ができるように祈っていきたいと思っています。


 そのほかにも思い返すといろいろ思い浮かびますが、やはり兄弟姉妹の祈りが何よりの力でした。


3.主題聖句から 心の扉を開く

 先ほど、子どもたちに「きよしこの夜」ができた時の逸話を、物語のように話しました。1818年12月25日にオーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。この歌にまつわる逸話として、"クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが発音できない状態になった(音のでなくなった理由はネズミにかじられた等、諸説あり。)。そして、クリスマスに歌う賛美歌の伴奏ができなくなり、急遽ヨゼフ・モールは"Stille Nacht"の詞を書き上げ、グルーバーに、この詞にギターで伴奏できる讃美歌を作曲してくれるように依頼を行った。グルーバーは最初「教会でギターを弾いても誰も気に入らないのではないか?」と懸念していたが、ヨゼフの説得もあって詞に曲をつけることを了承した。グルーバーは一晩中懸命に考え続け、ついにこの曲を完成させた。曲が完成したのは教会でミサが始まるわずか数時間前のことであった。というものです。日本語訳も素晴らしいのですが、実はこの歌詞の中に「優しき贖罪の夜明けとともに」という歌詞があるのです。「優しき贖罪の夜明け」。主のご降誕は私たちの罪を身代わりになるためであったということがこのきよしこの夜のもとの歌詞には込められているのです。


 (未完成です)