渋沢教会
更新日:2016.2.12

1月3日 御言葉の説教「天国への断捨離」

大井 啓太郎牧師
レビ記13:52
マルコ9:42〜50

 

 マルコ9:42−50は、大きく2つのことが書かれています。それは@つまずかせるものは切り捨てなさいA心に塩を持ちなさい。ということです。ここで誰が誰をつまずかせるのか、それはクリスチャンが40節にあった「キリストの味方」をつまずかせるのです。キリストの味方とは、クリスチャンではないが、教会やクリスチャンに好意を持ってくれている人々です。そしてさらに自分自身が自分自身をつまずかせることに、イエス様は警鐘を鳴らしておられるのです。それにしても、片手や片足、さらには目までも、罪を犯させるなら切り捨ててしまえという言葉は、大変厳しい言葉です。この「捨ててしまえ」というイエス様の言葉は、マタイ5章から始まる山上の説教の中でも姦淫を犯すことの警告として語られていました。そこでは、実際に姦淫の罪を犯したのでなくとも、すでにいやらしい目で異性を見たり、考えたりするだけで姦淫の罪を犯したのと一緒だと言われますから、私などは、両手、両足、両目も、頭すらも切り捨てなければなりません。ですから、自分自身が正しい行いによって救われることはあり得ないのです。主の十字架の贖いのみが私たちの救いであり希望なのです。

 それでも、私たちに問いかけていることは「何を大切にするか」ということです。大切にするということをもう少し掘り下げると、大切でないものは何か、さらに大切でないものをいかに捨てられるかということです。数年前「断捨離(だんしゃり)」という言葉が流行り、昨年も片付けの本を書いた日本人女性がTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれました。自分の手に余りながらも、持ち続けていたい欲望から解放されたことが、多くの人々の人生を変えるきっかけになったのでした。そういう意味ではイエス様は2000年も前から私たちに断捨離を勧めておられるのです。「天の国に持っていけるものは何ですか?」と。

 私たちは、本当にいろいろものを持っています。そして捨てられずにいる。整理できずにいる。だからこそ、私たちの人生には生き方を引き締め、方向転換を促す「塩=神の言葉」が必要なのです。