渋沢教会
更新日:2016.8.6

7月3日 御言葉の説教「聖霊の力、再び」

大井 啓太郎牧師
詩118:17〜29
使徒4:23〜36

 

 ペトロとヨハネは衆議会で大胆に主を証しました。彼らはイエスの名によって癒すことを禁じられましたが、逆にそれはイエスの名の力を認めることでした。釈放された彼らは、家に戻り、ここでも今まで自分たちの身に起きたことを話さないではおれなかったでしょう。彼らの家とは、主の弟子たちがいるところです。彼らはまさに彼らが読んできた聖書の預言が成就していると思ったことでしょう。

 信者たちは祈りました。すると、あのペンテコステの出来事が再び起きたというのです。このときは、すでに聖霊は一人一人に宿っていますから、その力に皆が再び満たされたということなのでしょう。彼らもまた大胆に神の言葉を語りだしたのです。

 この時ペトロたちはイエス様を「聖なる僕」と表現しました。この言葉は3:13、3:26にも出てきました。イザヤ書52、53章に預言された苦難の僕であることを、ペトロは語っているのです。実際、彼らは明確に今私たちが三位一体として信じているようには信じていなかったと思います。イエス・キリストを甦らせたのは、ご自身の力ではなく、神であり、主イエスが、父よと呼びかけたことや、聖霊の存在など、この後歴史的にみると325年、三位一体説が成立するまで、また、そのあとも様々な論争が起きていますから、人であり、神だという不思議は理解できなかったのではないかと思います。それでも、「イエスの名」の権威が増すに従い、神ご自身と同定するしか説明がつかなくなるのです。

 また、聖霊に満たされた彼らは、持ち物を共有したと書かれていました。キリストの愛を自分の愛とする時、その情熱は、伝道と社会奉仕に向けられるのです。メソジストの指導者ジョン・ウエスレーもまた、そのことに目覚めた人でありました。彼は伝道と同時に社会的に弱い立場の人を助けることに情熱を燃やしたのです。私たちもまた、聖霊に満たされ、キリストを証する生活を送りましょう。

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