渋沢教会
更新日:2016.9.10

8月21日 御言葉の説教「愛の教会として」

大井 啓太郎牧師
ヨブ記5:2
使徒6:1〜7

 

 教会は迫害とは別の問題が起きていました。それは、信者が増すにつれて、様々な格差が生じ、不満が高まったというのです。一番の大きな不満は、ギリシャ語を話すユダヤ人から発せられました。ギリシャ語を話すやもめが軽んじられていた、無視されがちであったというのです。これは、想像できると思うのです。当時のやもめ、つまり死に別れたり、離縁された女性は、今などとは想像ができないぐらい生活が苦しかったのです。彼女たちができた仕事は限られていました。たいてい再婚が勧められました。しかし、外国語を話すユダヤ人というのは、ほとんど外国人です。意思の疎通も考え方も違っている。そのような人々とユダヤ社会の中で育った人々とは、なかなかうまくいかなかったのでしょう。現代のキリスト教会でも外国で救われた日本人が日本に戻り、日本の教会に行ってその違いに驚いて教会に行けないという話を聞いたことがありますが、当時生まれたばかりの主の教会にも問題があったのです。

 そのような大きな問題が生じたとき、使徒たちは、自分たちだけではその責任を負いきれないということで、新たな7人の人材を選びました。彼らは、人々の世話をするだけでなく癒しのわざや、み言葉の説きあかしもしたようです。

 しかし、実は私はこの2000年前の決定をつい最近まで、恨めしく思っていたのです。使徒が人々の世話を放棄して、祈りとみ言葉に専念するということが、後の教会と社会福祉を分離させていった原因のように思っていたからです。しかし、働きの拡がりを考えるなら当然の決定でありました。事実、さらに多くの人が主を信じたのです。私たちも愛の教会として神と人を愛していきたいのです。

説教詳細は休みます