渋沢教会
更新日:2016.10.29

9月11日 御言葉の説教「福音の拡がり」

大井 啓太郎牧師
詩編147:10〜11
使徒8:1〜25

 

 ステファノの死は教会にとって、大きな悲しみでしたが、「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」とヨハネによる福音書12章24節に記されているように、彼は、彼に続く多くの豊かな実を結んだのです。迫害によって散らされた人々は、行く先々で福音を伝えました。

 その実りの中で、フィリポはサマリアに逃げ、その地で多くの奇跡を行い福音を宣べ伝えたのでした。中には、魔術師として有名だったシモンという人物まで洗礼を受けたと記されています。サマリアの人が洗礼を受けたということを聞き、ペトロとヨハネがサマリアに行ったと書かれています。理由は聖霊によるバプテスマを受けていなかったから、とあります。しかし、主イエスの名による洗礼と聖霊を受けるということの違いは何でしょうか?簡単に考えれば、あのペンテコステの日の出来事のような圧倒的な聖霊の臨在ということだと思うのですが、「聖霊の力がなければだれもイエスを主と告白できない」1コリ12:1-3とありますから、主イエス・キリストを「主」と告白するということは聖霊を受けていることにならないのでしょうか?

 讃美歌342番を参考にしながら考えてみると聖霊を受けるということは、心が動き、変えられたということです。ペトロに叱られたシモンは自分の名誉のためにキリストを信じましたが、それは実は信じたことにはならないのです。彼は聖霊によって変えられていなかったからです。

 迫害の中でも、福音を宣べ伝えた初代教会の人々。私たちも様々な機会を用いて福音を拡げよう。

説教詳細は休みます