渋沢教会
更新日:2017.1.7

12月4日 御言葉の説教「待降節A 天使の来訪」

大井 啓太郎牧師
イザヤ書7:14
ルカ1:26〜38

 

 初めての体験は、何歳になっても不安と驚きと喜びに満ちています。それが見たこともない天使の来訪であったなら、私たちはどのような反応をするでしょうか?

 世界を変えたイエスの母となったマリアは、何の前触れもなく、天使の訪問を受けました。神の人という意味の名をもつガブリエルは、このマリアに「おめでとう、恵まれた人、神はあなたと共におられる」と突然に現れ、突然に宣言するのです。マリアは確かに救い主を待ち望んでいたものの一人でしたが、まさか自分の前に天使が現れ、聖霊によって子を宿すとは夢にも思っていなかったでしょう。彼女が選ばれた理由は、彼女に特別な何かがあったのではなく、主なる神が人間を愛し、救いの約束をされていたからに他なりません。そしてその約束を神は、その愛ゆえに現実のものとして下さったのです。

 究極の愛は、自分の命すら惜しいとは思わないのです。愛は行動を伴うのです。父なる神は第一ヨハネ4:10にありますように「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」といきいきとその愛を示されました。愛するために、その愛が本当のものであるがゆえに神は、御子キリストをこの世にお与えになったのです。しかしそれは、十字架の死という大きな代償、痛みを伴わねばなりませんでした。ですから、私たちは主の降誕という嬉しいクリスマスを、世間の人々がするような、ただ歳末大売り出しの見出しや、浮かれて騒ぐだけのものにするのではなく、私たちの罪のためにお出で下さったという厳粛な気持ちで迎えるためにこの時期をすごすのです。

説教詳細は休みます