渋沢教会
更新日:2017.3.20

1月8日 御言葉の説教「異邦人ファーストだって」

大井 啓太郎牧師
詩編2:1〜12
使徒13:13〜52

 

 キプロス島では、総督の回心という実を残すことができたパウロ一行でしたが、次の目的地パンフィリア州のベルゲに着いた時、助手として連れてきたバルナバのいとこヨハネがエルサレムに帰ってしまったのです。その理由は、定かではありませんが、律法から完全に決別できたパウロと違い、もともとエルサレムで生活していたヨハネが律法を巡ってパウロの考え方についていけなかったということも考えられます。また、ただ迫害を恐れたのかもしれませんし、また、私たちも時としてそうであるように、神様の導きが分からなくなったのかもしれません。彼は後のマルコ福音書の記者ですが、裸で逃げた青年の姿は(14:15)、宣教旅行の途上で逃げ帰った彼自身を書き加えたのかもしれません。

 しかし、一行はさらにピシディア州にあるアンティオキアに到着し、ユダヤ教の会堂で、福音を語ることになりました。彼らは、聖書に書かれているメシア預言は、イエスを指しており、事実彼は十字架の死から甦り、それを証ししている多くの人々がいる。このイエスを信じることによって、全ての人の全ての罪が赦され、義とされる、律法が成就されると語ったのです。これを聞いた人々は、次の安息日にもイエス・キリストの福音を聞くことを望み、多くのユダヤ人やユダヤ教に改宗していた異邦人がイエス・キリストを受け入れたのです。しかし、次の安息日に、町の人々が多くやってくると、律法を守って生きることこそ、神の喜ばれる生き方だと、反対するユダヤ人が現れました。パウロとバルナバはそのような人々に、神の救いの言葉はまず、あなた方に語られるはずだったのに、それを拒み、あなた方自身が永遠の命を受け取れないものにしている。私たちは、あなた方には語らず、異邦人に神の救いの言葉を伝えに行く、と宣言したのです。今流行りの言葉でいえば、異邦人ファーストです。ユダヤ教においては、いつも、異邦人はセカンド以下でした。ですから、これを聞いた異邦人は喜び、多くの人々がユダヤ教ではない、イエス・キリストを信じる信仰に入ったのでした。福音は全ての人々に開かれているのです。

説教詳細は休みます