渋沢教会
更新日:2017.4.16

1月22日 御言葉の説教「苦しみ経由神の国行き」

大井 啓太郎牧師
詩編71:20〜24a
使徒14:21〜28

 

 パウロ一行はリストラから、また来た道を戻って帰路に着きました。それは再び捕まる恐れのあることでした。パウロはもしかしたら「死」というものを覚悟していたのかもしれません。これまで自分が回心する前は多くのクリスチャンを捕まえて、傷つけ、その命を奪っていた当事者でしたから、律法を大切にする人々がどれほどキリスト者を憎んでいたのかわかっていたからです。しかし、だからこそ、この旅で出会った、主イエス・キリストの福音を受け入れた人々を励まさずにはおれなかったのだと思うのです。

 パウロは22節「神の国にはいるには多くの苦しみを経なくてはならない」と語りました。ある日本語訳の聖書には「苦しみをなめなければならない」と表現されていました。ここに、パウロの気持ちが表れていると思うのです。そして、それは主イエス様が私たちの救いのために十字架を担いで歩かれた贖いの道でした。主は語られました「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者はそれを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハネ12:24-25)と。パウロはまさにこのような気持ちで旅を続けていたのでしょう。そしてパウロ一行は、無事シリアのアンティオキア教会に戻り、神が共にいてくださったこと、多くの異邦人が主イエス・キリストを救い主と受け入れたことを報告したのでした。

 私たちも通らなければならない苦しみがあります。最大のものは「死」です。主の十字架の贖いによってもなお、私たちには苦しみが訪れますが、それは愛するために必要な「共感」を学ぶための主の鍛錬なのです。(ヘブライ12:11)その苦しみの先に、神の国があります。

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