渋沢教会
更新日:2017.4.16

1月29日 御言葉の説教「天国に壁はいるのか?」

大井 啓太郎牧師
創世期17:9〜14
使徒15:1〜21

 

 第1回目の宣教旅行からパウロ一行が帰ってきて、しばらくしてアンティオキア教会に、一つの問題が起きたのです。「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなた方は救われない」とユダヤからやってきたクリスチャンが教えだしたのです。この問題は、以前からくすぶっていた問題でした。使徒言行録10-11章で、ペトロがローマ兵の隊長コルネリウスに洗礼を授けたことを、エルサレムにいた人々に弁明する記事が出てきました。まだ明確に、ユダヤ教から分離・独立していたわけではなく、それはまだキリスト教と呼ばれず、イエス派と呼ばれていたことからも明らかなのですが、ユダヤ教の一つの宗派であると認識していた人々が大勢いたのです。だからこそ、エルサレム教会の人々の間では、キリストの教えとは別に、当然律法は信じるべき信仰の一部をなし、通過儀礼や、毎日の生活様式も、律法がその根幹を成していたのです。ユダヤ教における改宗者がしてきたように、割礼を受けることが重要であると主張することは、創世記17章にあるように、主なる神様との契約を結ぶという点で当然であったのです。このことを話し合うために、パウロらは、エルサレムに行き、指導者たちと話し合う必要がありました。彼らがエルサレムに着くと、ファリサイ派から改宗してきた人々はやはり、律法を守ることを主張しました。多くの議論がなされましたが、ペトロがコルネリウスの例を引き合いに出し、次にバルナバとパウロが、アンティオキア教会でのこと、宣教旅行で出会ってきた人々のことなどを証しして、主イエス様を信じることこそが真の救いであると語ったのです。そして、最後に主イエスの兄弟のヤコブが異邦人は割礼を受けなくとも良いと結論を語りました。

 エルサレム会議が示した問題点は、今話題になっている言葉で言えば、天国に律法という壁があるのか、どうかということです。天国にあった律法の壁は、主イエスによって取り払われたのです。

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