渋沢教会
更新日:2017.4.29

2月12日 御言葉の説教「新しい旅の始まり」

大井 啓太郎牧師
レビ記17:10〜14
使徒15:36〜16:5

 

 パウロとバルナバが第2回目の宣教旅行に旅立とうとした時、大きな問題が起こりました。バルナバはまた、自分のいとこでもあるマルコをつれて行きたかったのですが、パウロは前回の旅の途中で帰ってしまったマルコを連れて行きたくなかったのです。39節には「意見が激しく衝突し」とあります。慰めの子と呼ばれ、あまり口数も多くなく、ゼウスと間違われたバルナバがこの時は、パウロと意見が真っ向から分かれてしまったのです。とうとう、バルナバはマルコとともに自分の故郷であるキプロス島へ、そしてパウロはユダヤからアンティオキアに来たシラスと陸路でリストラを目指しました。バルナバの足取りはこのあと聖書には出てきません。パウロと旅を始めた時、すでにだいぶ高齢だったようですから、自分の故郷であるキプロスでその生涯を閉じたのかもしれません。

 しかし、マルコに関して言えば、パウロはその晩年、マルコを非常に信頼していることが他の手紙に記されています。コロサイ4:10、2テモテ4:10、フィレモン24。彼はパウロの協力者と記されています。聖書には書かれていませんが、パウロも人間であり、悔い改めて、関係を修復したのでしょう。

 さて、パウロはリストラで後の愛弟子となるテモテを旅に加えましたが、聖書は不思議なことを記しています。それは、パウロはこのテモテに割礼を施したというのです。テモテは、ギリシャ人とユダヤ人のハーフでした。ハーフといえば、今ではかっこいい響きですが、しかし、民族を大切に思うユダヤ人からしてみれば、異教徒の子です。テモテは、自分のアイデンティティを探していた人物だったと思うのです。だからこそパウロの説く、ユダヤ教を超えたイエス・キリストの福音を喜んで受け入れたに違いないのです。そのテモテにこれまで自分が言ってきたこと、そして、今エルサレム会議で決まった割礼は必要ないという内容と矛盾するようなことをしたその理由は、パウロは「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のように」(Tコリ9章)と考える人でした。ユダヤ人伝道に必要と思われるからこそ、テモテに割礼を施したのです。パウロは割礼を重んじたのではなく、手段としたのでした。

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