渋沢教会
更新日:2017.4.29

2月19日 御言葉の説教「私たちの旅」

大井 啓太郎牧師
詩編37:39〜40
使徒16:16〜40

 

 パウロは新たにテモテを旅の仲間に加え、小アジア地域において素晴らしい働きをし、信徒の数は増えていったのです。しかし、彼らの働きが人々の目に触れればふれるほど、反対する人々の力も強まりました。彼らの本来の旅の目的は第一回目に訪れた町々の様子を見てくるというものでしたから、アタリアとかペルガに行きたかったと考えられますが、聖霊から禁じられてしまうのです。この「聖霊から禁じられる」というのは、彼らが祈り、その決断をした結果をこのように表現しているのですが、彼らは、ビティニアに向かいました。しかし、今度は「イエスの霊がそれを許さなかった」のです。パウロは、ダマスコ途上の時もそうでしたが、このような夢のお告げを見ることのできる人だったのでしょう。彼らは、彼らが意図しないトロアスという港町にたどり着きました。そして、ここでもパウロはマケドニア人の幻を見るのです。

 パウロがその幻を仲間に語ったところ不思議なことが起きたのです。それは聖書の記述が、それまでの、「パウロは」とか「彼らは」という3人称の主語から「わたしたち」という1人称に変わったのです。伝統的に、ここからこの使徒言行録の著者であるルカが加わったから、このような書き方になったんだという解釈もあるのですが、私はこの言葉の変化は、彼はそれまで客観的に、パウロの働きを書きとめていたところから、この旅が彼(ルカ)自身に関係する旅だと悟ったことを意味しているのではないかと思うのです。ただ付いていく随行者ではなく、自分も神に召されているという実感が、この「わたしたち」という言葉に込められていると思うのです。フィリピで出会ったリディアという女性も、彼女が福音を伝える「わたしたち」の一人だと感じたからこそ、パウロ一行を無理に引き留めたのではないでしょうか。

 今私たちの教会は創立60周年を迎えます。渋沢教会のこれまでの旅は、他の誰かがしてきたのかもしれない。しかし、これから続く旅は、誰でもない私たちの旅だということを、この御言葉は語っているように思うのです。

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