渋沢教会
更新日:2017.4.30

3月12日 御言葉の説教「救い主を伝える」

大井 啓太郎牧師
イザヤ6:5〜8
使徒17:1〜5

 

 2万人以上の人の命が奪われた東日本大震災から6年経ちました。昨日TVでは特別番組が東北の今を伝えていました。私もボランティアで現地に行くことの大切さを知り、記念礼拝の次の日から2泊3日で仙台・気仙沼に行きました。TVで見るような多くの情報量は得られませんでしたが、ピラミッドのような盛り土や、小雪がちらつく中、交通整理をしている作業員の姿、高台にできた商店街に、賢明に復興しようとしている姿を見ることができました。しかし、人々の心は前に進もうとする気持ちの人と前に進めない気持ちのままの人の「心の格差」が大きくなっているそうです。前に進めないその心の痛み・悲しみは、いくら町がかさ上げされ、きれいになっても癒されることはないでしょう。かえってその悲しみは置き去りにされたように深まるでしょう。一人でも多くの人が、真の慰めと希望を与えて下さる神様と出会ってほしいと願わざるを得ません。そのために今も昔も救い主を伝える働きが必要なのです。

 パウロ一行は、テサロニケに着き、ユダヤ教の会堂で、聖書を基に来るべきメシアがイエスであったことを人々に伝えました。その根拠は、イザヤ書53章にある苦難の僕とヨナ書2章でした。パウロらは、ユダヤ人に対しては「預言されているメシアは誰か」を伝えたのです。このパウロらの働きによって、主イエスを受け入れた人もいましたが、反対する人々は暴動を起こし、パウロらを捕まえようとしたのでした。パウロらは主に守られてアテネに向かいました。

 私たちの国において、主イエス・キリストが救い主であることを伝えることは、迫害がないという点では禁教であった時代より難しいことではなくなっています。しかし、自ら信仰を言い表し、キリストを伝えるためには、使徒の時代からなんら変わらない祈りと働きが必要なのです。新しい60年も、誰かのために祈り、救いのために賜物を差し出し、宣教に加わることでしか歩みだせないのです。

説教詳細は休みます