渋沢教会
更新日:2017.4.30

4月9日 御言葉の説教「アノ方ニオ会イシタイノデス」

大井 啓太郎牧師
ゼカリヤ9:9〜10
ヨハネ12:20〜26

 

 教会の暦では、棕櫚の主日(パーム・サンデー)と呼ばれる日です。代々のキリスト教会はこの日から続く一週間を、主イエス・キリストの地上での最後の一週間として特に心に覚えて、感謝と悔い改めの祈りの時を持つのです。

 しかし、このギリシャ人がイエス様に会いに来るという記事はヨハネ福音書独自のものです。研究者の間では、様々な理由からこの福音書が福音書の中では一番最後に書かれたという説が有力ですから、当時すでに存在していた教会、それも異邦人教会の信仰を反映している側面も否定できません。そのような視点で読むとこの記事の意味が分かってくるのです。このヨハネ福音書の物語は、使徒言行録に出てくるフィリポが伝道した人々の信仰を反映していると研究者は考えています。

 確かにそのように考えるなら、この物語の不思議さが理解できるのではないでしょうか?もちろん、書かれているそのままに、祭りに来ていたギリシャ人が不思議な奇跡をおこなうイエス様に会いたいと願い、フィリポ、アンデレを通して、イエス様に伝わり、イエス様がユダヤ人だけでなくギリシャ人にも信じる人々が起こされたことを知って、時が来たことを語り、さらに「一粒の麦のたとえ」によって宣教する大切さを語ったと理解することもできるでしょう。しかし、この物語の大切なところはギリシャ人、すなわち異邦人が「救い主イエス様にお会いしたい」と願い、主イエス様が「一粒の麦が地に落ちて多くの実を結ぶように、命をかけて私に従うものは永遠の命が得られる」とユダヤ人の王ではない、異邦人の王、世界の王としての救いを語っている点です。その言葉は、すでに迫害を受けている人々を励ますために書かれているように思えるのです。今世界は、新たな世界大の戦争の影におびえています。このような時だからこそ、平和の主に従いましょう。

説教詳細は休みます