渋沢教会
更新日:2017.4.30

4月16日 御言葉の説教「復活(イースター)の喜び」

大井 啓太郎牧師
イザヤ61:10〜11
ルカ24:1〜12

 

 日本でも、ディズニーランドのおかげで、イースターという言葉がだいぶ知られるようになりましたが、「もともとはキリスト教のお祭りで、春の到来を祝うもの」ぐらいの扱いがほとんどです。イースターがお祭りなのは事実ですが、春の到来を祝うということでしかイースターが知られていないのは本当に残念です。しかし、その理由はわからないでもありません。イースターがイエス・キリストの十字架の死と復活という、キリスト教を信じていない人々にとっては受け入れがたい出来事を祝っているのですから。さらに言えば、その死と復活が、私たちの罪の肩代わりと赦しの故だからなどといっても、なかなか信じてもらうことは難しいのです。しかし、それは事実であり、このイエス・キリストの存在を抜きにこの世界の歴史を語ることはあり得ません。

 人々が信じられない理由は、4つの福音書が、それぞれ違った書き方をしているということだったり、イエス・キリストは十字架の上で死んだのではなく仮死状態だったのではないか、などありますが、一番もっともらしい理由は、墓から弟子たちが盗み、甦ったとうそを言っているというものです。しかし、盗んで甦ったとうそを言うメリットはどこにもないのです。それは、ユダヤ当局やローマ当局から命を狙われるだけですから。聖書は、復活後のイエス様に最初に出会った婦人たちの話を信じない弟子たちと復活された主イエスを見た弟子たちの驚きと恐れを描いています。もし復活がなかったなら、弟子たちは何の根拠があって、イエス・キリストの福音を自分の命を懸けてまで告げ知らせたのでしょうか?主は、確かに復活され、弟子たちに現れました。そしてもう揺らぐことのない、神の子イエスという確信を与えたのです。ですから、イースターは毎年来る春の到来を喜ぶような、つまらないものではない、私たちの希望なのです。

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