渋沢教会
更新日:2018.9.15

12月17日 御言葉の説教「待降節B 天にみ栄、地に平和」

大井 啓太郎牧師
詩編147:1〜15
ルカ2:8〜20

 

 羊飼いたちが羊の番をしていると、そこに天使が現れるのです。それは羊飼いたちが今までみたことがないような光景でした。そして全人類にとっての救い主が、ダビデの町でお生まれになったと、天使は告げたのでした。彼らは、天使の言葉通りにベツレヘムに行き、家畜小屋にいた、生まれたての赤ん坊を目にしました。貧しい彼らでも、家畜小屋で、人がお産をするというようなことは聞いたことがなかった。天使の言葉が、実際に起きたことであった事を、彼らは人々に知らせます。しかし、彼らのような者の言葉を聞く人は少なかったのです。世界を救う救い主が、家畜小屋で生まれはずはない。そのように思って一笑にふすのが関の山だったのです。現代に生きる私たちも天使を見ることはできなかったかもしれません。そこに特別な天使の賛美の歌声を聴くことができた人々はやはり、選ばれた人々だけだったと思うのです。物事を見たり聞いたりする中に別のものを感じ、見ることができるのは、特別な何かだと思うのです。

 昔の日本の人々は月を見て、そこにウサギが餅を付いている姿を見ました。生き物がいると信じました。2000年前、砂漠の真ん中で星が降ってくるような満点の星空のもと、砂漠の真ん中で野宿をしていた信仰深い人々が感じたことは、天使がやってきて、救い主の到来を告げ知らせたということであり、神が全ての人々にあがめられ、争いのない生活が守られるというささやかな平和への願いだったと思うのです。そのような願いもつ人々にとって、それはやはり単なる壮大な天体ショーではなかったのです。そして、ベツレヘムで見つけた赤子によって、それは本当に神の約束になったのです。私たちも又、夜空を見上げた羊飼いや東の国の学者たちのように、心の目を高く上げ、希望の誕生を祝いたいと思うのです。

説教詳細は休みます