渋沢教会
更新日:2019.5.6

1月14日 御言葉の説教「自省を求める神」

大井 啓太郎牧師
イザヤ1:1〜31
ローマ2:6〜11

 

 このイザヤ書は紀元前740年から前700年頃の南ユダ王国の出来事に呼応した内容になっています。当時のユダヤは、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しており、北イスラエルは前721年、アッシリア帝国によって滅ぼされてしまいます。南ユダは従属国となるわけですが、依然アッシリアやエジプトの脅威にさらされていたのです。そして実際、前586年、アッシリアの次に興った新バビロニア帝国によって滅ぼされてしまうのです。イザヤは、そのような南ユダに仕える預言者でした。彼は、神の民らしい選択をするように王や国民に呼びかけたのです。イザヤ書は、大きく2つに内容が分けられます。1章から39章と40章から66章です。前半は悔い改めを求める内容であり、後半は、神の祝福となっています。実はこの章の区切り方ですが、旧約聖書の巻数39巻と新約聖書27巻と偶然にも合致するのです。これは、まだ新約聖書がない時代にすでに、それを予告していたと考える人もいます。

 2節から預言の本題に入りますが「…彼らはわたしに背いた」また、3節には「…わたしの民は見分けない」とあります。これは、神様の嘆きです。神の民として立てられていたイスラエルの民が、神様をないがしろにしているというのです。8節に「娘シオンが残った」とありますが、このシオンというのはユダ王国のことです。すでにこの預言は北イスラエルの滅亡を見ているのです。時代は大きく変わろうとしていたのです。しかし、ユダの人々がしていたのは、11-13節にあるように、これまでと変わらない形式的な礼拝だったというのです。

 主は言われました。「手を洗って清くせよ、悪を行うことをやめ、善を行うことを学べ」と。もし悔い改めないなら、24節「必ず罰する」と語られるのです。彼らには何が足りなかったのか?それは、神の言葉を実生活に生かすということでした。御心に沿って生きるということでした。当時のユダは、近隣諸国との摩擦の中で、同盟を組んだり、敵対したりさまざまな外交をしていました。それはまさにユダ王国ファーストだったのです。しかしそこに神に従う心が伴っていなかった。イザヤ書のメッセージは、時代を超えて私たちにも迫ってきます。

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