渋沢教会
更新日:2019.5.6

2月4日 御言葉の説教「救いの約束」

大井 啓太郎牧師
イザヤ4:2〜6
黙示録13:1〜10

 

 イザヤ書4章2節−は、すでにアッシリア帝国の後に興った新バビロニア帝国によって南ユダ王国が滅ぼされ、バビロン捕囚を経験した後に、イザヤが残された人々に希望を語っていると、注解書には記されています。そもそもイザヤ書の預言の言葉は、時代を超えた内容になる時もあり、前後の文脈に整合性が見いだせない場合もあります。そのような神の言葉の断片だからこそ、預言なのです。ですから、これまで1章から4章1節までの預言とこの預言の言葉とは、時代がだいぶ違うことを念頭に置いていただきたいのです。

 歴史的にみれば、アッシリア帝国によって北イスラエル王国がB.C.721年滅ぼされ、次に興った新バビロニア帝国によって南ユダはB.C.586年滅ぼされて、バビロン捕囚を経験します。詩編137編はそのバビロン捕囚で連れ去られた人がうたったものです。そして次に興ったペルシャ帝国のキュロスによって、バビロン捕囚から解放されて、人々はエルサレムへと戻っていき、エルサレムを再建するのです。ですから、この預言は、バビロンに連れ去られた直後の人々に対してなされた慰めの言葉というのが、本来の預言でした。

 しかし、これまで申しあげてきたように、預言は時代を超えた神様の言葉です。この預言は今の私たちにも語られているのです。そのキーワードが「その日」という言葉です。その日とは、北イスラエルの滅亡の時であり、南ユダの滅亡の時であり、同時にイスラエルへの帰還の時であり、また、ローマ帝国によるエルサレム陥落であったのです。また、第2次世界大戦で敗れた日本の姿であり、また、復興の姿でもありました。そして、来るべき主の再び来て下さる日でもあります。要するにその時代その時代、この箇所を読む読者が、この預言の言葉の中に神様の思いを見出す時、その言葉は希望の約束としてよみがえるのです。その日、裁きの日、主なる神様を信じる者は、「生き残るもの」「残された者」となり、神の祝福を与えられるのです。

説教詳細は休みます