渋沢教会
更新日:2019.11.19

1月13日 御言葉の説教「礼拝に生きる」

大井 啓太郎牧師
詩編95:1〜7
ヘブライ10:19〜25

 

 19節は「兄弟たち」という呼び掛けから始まっています。先週も申しあげたように、キリスト教は愛の宗教であり、その愛を実際の関係で表す時、「兄弟姉妹」という言葉になるのです。兄弟姉妹という関係を元に、私たちは教会において共に礼拝し、賛美し、祈り、考え、奉仕するのです。そのような前提に立って、クリスチャンにとって礼拝は改めて言うまでもなく、一番大切な営みです。

 カンバーランド長老教会『信仰告白』の中で礼拝について「礼拝は生ける神の臨在を証言し、神の力強いみ業を祝うことである。礼拝は教会生活の中心であり、すべての信仰者が神の主権と尊厳にふさわしく応えることである。」とあり、さらに「礼拝において神は人々がキリストにあることを宣言し愛と赦しと導きと贖いの確信を与えられる。」とあります。つまり礼拝は神の臨在の証言であり、祝いであり、教会生活の中心であり、人がキリストにあることの宣言だというのです。中でも、「神の臨在の証言」という言葉は重い響きです。神様が共におられるということを証言するのが礼拝だというのです。私たちはここに神様がおられてその前に集ってくるという感性が強いと思うのですが、少し逆説的な言い方になりますが、私たちがここに神はおられると証言するために、礼拝があるということなのです。ですから教会が重要なのは、その建物ではないのです。時々、立派な教会を見かけます。でもよく見ると、そこは結婚式専用の建物だったりします。そこが教会かどうかは、形ではなくそこで礼拝がなされているかどうかなのです。また、「神は共同的にも私的にも礼拝されるべきお方である。…中略…私的礼拝は、特に家庭において個々人によって、家庭によって守られる。」とあります。礼拝とは、教会の中でだけ持たれるものではないことを私たちの信仰告白は語っています。礼拝する人々がいる場所、そここそが真の意味の教会なのです。教会に何か不満があれば、それこそあなたが神様から与えられている賜物を生かすチャンスです。

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