渋沢教会
更新日:2020.2.1

3月17日 御言葉の説教「病の後で」

大井 啓太郎牧師
イザヤ39:1〜8
マタイ9:18〜26

 

 ヒゼキヤ王の病は癒されました。アッシリアを退け、死の病から解放されたヒゼキヤ王の名声は近隣諸国に届きました。当時アッシリアに対抗していたバビロニア王にも、その名声は届いたのです。バビロニア王は見舞いを口実に、南ユダの内情を知ろうとしたのです。ヒゼキヤは、その嬉しさから、バビロニアの使節に見せなくてもよい宝物庫や武器庫まで見せてしまうのです。ヒゼキヤは、南ユダの国力を示そうとしたのかも知れません。しかし、これはバビロニア側にとって、南ユダを攻める時の貴重な情報になったのです。イザヤはそのことを見抜き、ヒゼキヤにいつの日か、アッシリアに代わりバビロニアが攻めてくることを預言しました。しかし、その言葉にヒゼキヤは8節「…主の言葉はありがたいものです。」とイザヤの言葉に感謝しているように見えますが、そのあとの言葉でわかるように、自分のしたことを反省せず、自分の在位中は平和が続くだろうと主の言葉を軽く考えていたのです。ヒゼキヤには、主によって守られているという安心があったのでしょう。実際主は37:35や38:6で「この都を守り抜く」と約束して下さいました。しかし、南ユダはこのあと7人の王が立ちますが主なる神を大切にした王はヒゼキヤの孫に当たるヨシヤ王のみで、最後の王ゼデキヤにいたっては、バビロン捕囚の後、目の前で子供を虐殺され、両眼をえぐり取られ、死ぬまで鎖につながれ、生涯を終えたのです。(列王記下25:7)BC586年、ヒゼキヤが亡くなってから100年後南ユダは滅亡したのでした。

 イザヤ書はこの39章で一つの区切りとなりますが、私たちは一生懸命人間の知恵で切り抜けようとする、代々の王たちや主なる神に立ち返らない人々の姿を見てきました。主に命を長らえさせていただいたヒゼキヤですら、人間的な傲慢や名声から逃れることはできませんでした。私たちもまた、主によって救われているという安心から、逸脱してしまうことがないようにしなければなりません。主からの恵みは、あなたがより神と人を愛するためのものなのです。

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