渋沢教会
更新日:2020.2.1

3月24日 御言葉の説教「さらなる希望」

大井 啓太郎牧師
イザヤ40:1〜11
マルコ1:1〜5

 

 イザヤ書40章からはバビロン捕囚後の人々に対して語られています。39章のヒゼキヤ王の時代から100年以上が過ぎていますので、1〜39章を語ったイザヤとは違う、彼の思想を受け継ぐ弟子、聖書学者は第2イザヤと呼ぶ、が捕囚の民に寄り添い希望の預言を語っています。

 ヒゼキヤ後の南ユダは、アッシリアの影響力が弱まり、一時的な繁栄を取り戻しました。ヒゼキヤ王の子マナセは、55年もの間王位にありましたが、他国との柔和策をとってバアルやアシタロテといった異教の神信仰を再興してしまいます。また、聖書には書かれていませんが、ユダヤ教の文献には、マナセがイザヤをのこぎりで切り殺したと記されています。その子アモンは2年足らずで暗殺され、8歳のヨシヤが王になりました。彼は、25歳の時に発見された申命記を頼りに改革に着手し、異教の祭壇を排除するなどして、列王記下23:25には「彼のように全くモーセの律法に従って、心をつくし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。」と称賛しています。しかしアッシリアは代わって勢力を広げてきたバビロニア帝国によって何度もエルサレムは攻められ、ゼデキヤ王の時代に39章の言葉通り、とうとう滅ぼされて、歴史からその名は消えてしまってもおかしくありませんでした。しかし、イザヤや同時代の預言者エレミヤが指し示し続けた信仰の火は消えることなく、捕囚の人々に受け継がれ、預言者ダニエルやエゼキエルといった人々は、メシアが到来し解放される日を待ち望んでいたのです。

 その願いはペルシャ帝国のキュロス王による解放によって実現しますが、この預言は、時代を超え、ローマ帝国の圧政に苦しんでいた人々にもメシア到来の希望を告げていたのです。そしてマルコによる福音書1:1には、バプテスマのヨハネが、イザヤ書40章の預言の成就である来るべきメシアの道を整えるべき存在として登場するのです。そのメシア(ギリシャ語でキリスト)が主イエスなのです。そして現在に生きる私たちにとっても主イエスは希望なのです。

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