渋沢教会
更新日:2020.2.5

4月21日 御言葉の説教「Happy Easter!」

大井 啓太郎牧師
ヨナ2:1〜11
マルコ16:1〜8

 

 過越の祭りの翌朝、それも明け方という早い時間に主イエスの葬られた墓に向かうマリアとよばれる女性たちの姿が記されています。彼女たちの目的は死んだ主イエスの体に油を塗って遺体の処置を施すことでありました。前日の安息日にはそのような事がユダヤの律法では禁止されておりましたし、処刑された2日前は慌ただしく、十分な葬りができなかったからでありました。主イエスにずっと従って来た12人の弟子たちは、主イエスが捕まった折りに皆逃げ出してしまい、裏切ってイエスを売ったイスカリオテのユダは自ら命を絶っていました。残った弟子も捕まる事を恐れてか、また、主イエスの死にショックを受け、その墓にすら来ることができないでいたのです。一番弟子のペトロでさえ、主イエスが捕まった時、3度も主イエスを知らないと言い、逃げていたのです。墓に来た婦人たちもまた、悲しみの中でただただしっかりと最後の別れをするつもりで墓に来たのでありました。

 しかし、彼女たちが見たものは、墓の番をしているはずの兵隊の倒れた姿と、大きな入り口を塞ぐ石が横に転がされた空の墓でありました。そこには人間とは違う存在、それを聖書は天使と呼んでいますが、天使がおりました。彼女たちはこの事実を隠れている弟子たちに伝えようとしますが、そこに、死んだはずの主イエスが現れ、「おはよう」と挨拶をされました。聖書のこのおはようという言葉には「喜ぶ」という別の意味がありますが、マリアたちはこの再会を本当に喜び、それは足を抱くという行為に現れていますが、弟子たちにこの事実を伝えたのです。

 弟子たちはこの報告を受け、最初は疑っておりましたが、主イエス様が3日目に甦ると言われた言葉を思いだし、また、主イエスと再会をしました。疑っていたトマスにさえ、主はその傷付いた体を見せ、復活が事実であることを教えたのです。ペトロらはこの体験によって、不可解ではあるが神の偉大な力と、主イエス・キリストが本当に神の子であり、神そのものであるという認識に至ったのです。それ以外に考えられないという結論に至ったのです。その確信こそ、彼らが、後に多くの苦しい迫害に遭いますが、その迫害に耐えてあまりある主イエス・キリストの復活の証し人としての原動力になったのです。復活の出来事は確かに不可解であります。

 主が十字架にかかられた理由、それは私たちの罪を肩代わりするためでありました。私たちは神様に対して多くの罪を犯している存在です。その罪を主は肩代わりして下さった。キリスト教用語でこの事を「贖い」といいますが、主イエスは私たちの罪を贖い、罪の結果である、死から解放して下さったのです。では、どうして罪を肩代わりして下さったのでしょうか。贖って下さったのでしょうか。それは神様が私たちを愛して下さっているからに他なりません。独り子をお与えになるほどにこの世界を、人間を愛された。あなたを愛されているからです。私たちは主の死によって罪を贖われ、そして、主イエス様の復活によって私たちも同じ復活という希望を与えられたのです。復活された方の力と言葉を信じる、それが復活の意味であり、信仰です。

 これこそ、福音、神のよい知らせなのです。永遠の命によって私たちは死によって別れ別れになった人々との再会という希望が与えられ、それは、単に未来の希望ではなく、今をよく生きる力にもなるのです。本当に神の恵みは有り難いとしかいいようがないのです。

 天使が「復活の主イエスを知らせなさい」とマリアたちに語ったように、私たちもまた、復活の主イエスの喜びの出来事をここから告げ知らせる者となりましょう。

説教詳細は休みます