渋沢教会
更新日:2020.2.8

6月9日 御言葉の説教「イエスこそ主」

大井 啓太郎牧師
ヨエル3:1〜5
使徒2:14〜42

 

 五旬節の日、弟子たちが聖霊によって外国の言葉で主を賛美したというペンテコステ物語の伝統的な解釈は、ガリラヤ出身の教育など受けられなかった人々が聖霊によって、外国語を話すという賜物が与えられ、弟子たちは死をも恐れない伝道者へと変えられたというものです。しかし、私は弟子たちは、もう少し物事を考えられた人々ではないかと思うのです。主イエス様と共に、約3年宣教の旅を続け、主の復活を経験した弟子たちが、主イエス様から、全世界の人々に福音を告げ知らせなさいと命じられて、どうすれば、全世界の人々に語ることができるだろうか?と考えだしたのではないかと思うのです。少なくとも過ぎ越しの祭りから、五旬祭までの期間、何もせずボーっとしていたようには思えません。使徒言行録1章を見ると、弟子たちは弟子たちができることをしていました。それは1:14にあるように熱心に祈ることであったり、主の復活の証人となるべく新たな使徒マティアを選んでいるということからそれが分かります。

 真剣な祈りは考えもしなかったアイデアを生みます。多くの人が集まる五旬祭にエルサレムに来ていた外国の人々から、短いフレーズ、例えば主をほめよという単語だけ教えてもらって覚えて、それを叫んでいたのだとしたら、と私は考えたのです。しかし、私は聖霊の働きを否定したいのではありません。心燃やされた弟子たちが、それでも多くの危険がある中で語りだすために、助け主、慰め主と言われる聖霊なる神様の力はやはり必要だったと思うのです。

 この出来事の後に語りだしたペトロは「はっきり知らなければならない。あなた方が十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのだ」と人々に訴えました。それを聞いた多くの人々がイエスこそ主と告白したのです。

 私たちは主イエス様や弟子たちのように病気をいやす力はなくとも、異言を語れなくとも、聖霊を受けてこの時代に遣わされている主の復活の証人です。渋沢に住む人々や私たちの大切な人々に福音を伝えるために、何をしたらよいのか、何ができるのでしょうか?それはあなた自身の救いの証しを語る事です。

説教詳細は休みます