渋沢教会
更新日:2020.2.8

7月21日 御言葉の説教「ドーンと信じよう」

大井 啓太郎牧師
イザヤ44:1〜5
ヨハネ7:37〜38

 

 「新しいことをわたしは行う(43:19)」と主は宣言されましたが、それは、バビロン捕囚をされた人々に、エルサレムへの帰還を促すものでした。しかし出エジプトの時もそうでしたが、長くそこに住むと、その場所に順応してくるのです。また、新しいことをするためには、エネルギーがいります。もう動きたくないという心理も働いてくるのです。バビロン捕囚は確かに、強制的に移住させられましたが、多くの人々は、新しい土地で、新しい生活を懸命に始めていたのです。イザヤ書には、あまり記述がないのですが、エレミヤ書29:1、4-7やエゼキエル1:1には、その生活が少し描かれています。ですから、当初は開拓の厳しさがありましたが、50年経つ間に、人々の生活は、安定してきた部分もあったと思うのです。そして、バビロンの神を拝む人々が現れてくるのです。ですから、ペルシャ王キュロスによってバビロニアが滅ぼされた時、多く人々が故郷に帰りましたが、やはりその地にとどまる人々がおり、のちの「離散のユダヤ人」とよばれるようになったのです。ですから、この44章では、エレミヤの手紙にもありましたが「あなたがたは神の民として選ばれている」ということが語られているのです。ヤコブよ、イスラエルよ、エシュルンよと。最後のエシュルンという呼びかけの言葉は、旧約聖書ではここと、申命記の4回しか出てきません。意味は「正しいもの」「高潔なもの」という意味です。これは捕囚の民が正しい者なのではなく、神の民としての自覚を促したものと言えます。しかし、神様によって選ばれている者だからこそ、祝福が与えられるのです。祝福するという行為は、最大限の承認と肯定です。礼拝の最後に「あなたがたに神様の祝福がありますように」と祝福の言葉を宣言しますが、神様の最大の恵みであると言えます。私たちは、この祝福の中で1週間を過ごすことができる。だからこそ、5節にあるように私たちは自らを「主のもの」と自覚しながら生きることができるのです。

 わたしたちも苦しい時には、自分の手に主と書いて見ましょう。そして、神様に祝福を受けていること思い出しましょう。

 

 

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