渋沢教会
更新日:2020.2.8

8月11日 御言葉の説教「主に愛されて」

大井 啓太郎牧師
イザヤ45:9〜25
ローマ9:19〜24

 

 45章9節以降では、「災いだ、土の器のかけらにすぎないのに、自分の造り主と争うものは。粘土が陶工に言うだろうか『何をしているのか あなたの作ったものに取っ手がない』などと」と、創造主なる神様を陶器師にたとえています。

 私が身体障害者施設のアガぺセンターで働いている時に、私のために作ったという湯呑みをいただきました。飲み口はでこぼこしていて、かっこが悪いところもあるのですが、世界でただ一つの私のために作られた湯呑みなのです。ひと月以上かけて、それこそ粘土をこね、形を手で整え、色をつけ、焼いてできたものなのです。ですから、愛着も生まれます。この湯呑みを使う時、アー神様も、私に愛情を注いで私を造ってくれたのだと、思えるのです。私たちは、背をもっと高くとか、鼻を高くとか、人と比べてもっともっとと何か足りないところを言い立てて、不平不満を言いますが、神様はオンリーワンの素晴らしい人生、賜物を与えてくださっている。その人生、賜物をどのように生きるか、が私たちに与えられている課題だと思うのです。2017年に『グレイテスト・ショーマン』という映画がヒットしました。その内容は世間から隠れるようにして生きていた様々な人を集め、サーカスを始めた実在する人の物語です。障害を見世物にすることは、倫理的に問題な点もなくはありません。しかし、それまで、偏見と差別の中で、生きていることに何の意味も見出せなかった人たちが、それを自分にしかできない職業とした時、その人の人生はきっと変わったのだと思います。少なくとも、その映画が訴えていたことは、偏見に立ち向かう人々の勇気でした。私たちの違いは神様のご計画であり、失敗ではないのです。「あなたは高価で貴い」のです。

 ロマ書では私たちを「憐みの器」と表現しています。私たちは主に愛されて、憐みを与える存在、人々と共に喜び共に泣く存在とされているのです。

 

説教詳細は休みます