渋沢教会
更新日:2020.2.8

9月1日 御言葉の説教「厳しい愛」

大井 啓太郎牧師
イザヤ48:1〜22
Tペテロ4:5〜11

 

 イザヤ書48章は、神の民に対する神様の厳しい言葉が記されています。10節にあるように「見よ、わたしは火をもってお前を練るが/銀としてではない。わたしは苦しみの炉でお前を試みる。」と、捕囚からの解放がなされてもなお試練があることが語られています。46章で、神様の背中と題してお話ししたように、神様はとことん私たちを愛してくださるお方であるにもかかわらず、このような厳しさは何故なのでしょうか?

 私は、このことを思い巡らしていた時に、礼拝堂に1匹のヤモリを見つけました。ヤモリはトカゲと違ってどこか可愛さがあります。礼拝堂では餌になる虫もないだろうと思い、捕まえて逃がそうとしたのです。ヤモリに近づくと「オオイサンアリガトウ」と言ってヤモリは手の中に入るはずもなく、さっと逃げて隠れてしまいました。「せっかく逃がそうと思ったのに…」ヤモリが私を信頼してくれていれば、外で沢山餌を食べられたのです。しかし、私はヤモリにとって怖い存在に映ったに違いないのです。私はハッとしました。神様を怖いお方だと思っていたら、優しく差し出された手さえ、罰を与える手に見えてしまうのではないかと。また、実際にどんなに優しい親でも悪いことをした子どもに対して、怒らない親はいないのです。それは愛するが故の厳しさであるのです。ペトロの手紙は語ります。「彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」終わりの日に申し開きができるように、私たちは時に叱られ、それでも愛してくださっている主に信頼して生きるのです。

 

 

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