渋沢教会
更新日:2020.2.8

10月6日 御言葉の説教「全ての人の光」

大井 啓太郎牧師
イザヤ51:1〜16
ヨハネ1:9

 

 ペルシャ帝国のキュロス王によって、新バビロニア帝国が倒され、バビロン捕囚からの解放が目前に迫る中、連れ去られた人々の中には、自分たちの故郷への帰還をためらう人々がいたのです。何回かバビロン捕囚は行われていて、長い人で60年、短い人でも40年、見知らぬ地で生活していたのです。皆さんでしたら、どのように思われるでしょうか?エルサレムに戻ることだけを夢見て生活していた人であれば、喜び勇んで故郷に戻る準備をしたでしょうが、若い人は、その土地で生まれ育って、エルサレムなど知らない人も多くいたでしょう。そのような人たちは、民族の故郷とは言え、また見知らぬ土地に行くことに迷いがあっても当然です。この51章がいう「正しさを求める人、主を訪ね求める人」というのは、エルサレムへの帰還を促そうとする言葉なのです。そのように正しさを求める人は、思い出してごらん、自分たちの民族の父・母であるアブラハムとサラを。そして彼らが目指した約束の地、カナンの土地を。勇気を出して旅立ちなさい。というのがこの51章が語るところなのです。

 この箇所を読んでいて、改めて気がついたことがありました。アブラハムたちはまさに、今捕囚されているこの土地から旅立ったのです。創世記11章には、アブラハムの一族がメソポタミアのウルから旅立ったことが書かれています。ですから彼らはもう一度、神様の声に従って旅を始めることになるのです。ただ違うのは、彼らの目的地は明確でした。

 そのような中で主なる神は@ルーツを思い出すことA人の言葉に恐れないことを示されたのです。そしてこのことは、この時代を旅する私たちへの言葉でもあると思うのです。では、私たちのルーツとは何でしょうか?

 カンバーランドは伝道に熱心でした。西部開拓時代、人々の心に福音の種をまき続けたのです。また、明治に和歌山に来たヘール宣教師は石を投げつけられたりしながらも、伝道し、多くの人々を導きました。私たちもこの秦野にあって、恐れず宣べ伝えたいのです。主の教えは全ての人の光なのですから。

説教詳細は休みます