渋沢教会
更新日:2020.3.14

11月3日 御言葉の説教「旧約聖書の中心@」

大井 啓太郎牧師
イザヤ52:13〜53:12
ヨハネ12:37〜43

 

 旧約聖書の中心はどこでしょうか?世界の始まりを記し、神と契約したアブラハムが出てくる創世記や、十戒を授けられたモーセが出てくる出エジプト記だと、言えなくもありません。アブラハムやモーセが民族の英雄であるユダヤの人々に聞けば、きっと、創世記や出エジプト記をあげると思います。また、人々を慰め、励ますという点では詩編ほど人々に影響を及ぼしてきた書はありません。しかし、私たちクリスチャンにとって、いや、クリスチャンのみならず、この人類の歴史の中で、イエス・キリストを預言した、このイザヤ書52:13-53:13は、紛れもない旧約聖書において、はずすことのできない聖書個所なのです。

 イエス・キリストをメシアと信じない、ユダヤ教徒や他の人々は、この預言を誰か別の人ではないかと主張します。しかし、ここに記されている、いわゆる『苦難の僕』は、誰をも想定できないものでした。今まで私たちは、イザヤ書を通して、アッシリアやバビロニアに苦しめられたイスラエルの姿を見てきました。そして、歴史的史実としてペルシャ帝国のキュロスがその解放者として登場したのを読んできました。しかし、この52章53章に記されているような、みすぼらしい救世主は、想定できないのです。「誰が信じ得ようか」とイザヤ書の著者自身が、53:1で語っているように誰も、そのような傷つき、奴隷のような救世主を信じられなかったのです。しかし、主イエス・キリストが十字架にかかり、死んだ後3日後によみがえり、天に昇られた姿を見た弟子たちが初めて、このイザヤ書に記された預言が、イエス・キリストを指していたことを理解したのでした。また、旧約聖書中この箇所にしか出て来ない単語が10か所もあるというのです。それは書かれた当初からこの箇所が特別であることを物語っています。

 ぜひ、この箇所を何度も読み返してください。そうすればそうするほど、このみ言葉が、イエスキリストを指し示していることが分かります。そして、ここに出てくる罪赦された人々の中に私たちもいるのです。

 

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