渋沢教会
更新日:2020.3.14

11月24日 御言葉の説教「神の思い」

大井 啓太郎牧師
イザヤ55:1〜13
マタイ7:7〜8

 

 このイザヤ書55章は心に響く言葉が多く記されています。1節「来るがよい」。昔、植木等が「♪銭(ぜに)のない奴は俺んとこへ来い 俺もないけど心配すんな♪」と歌いました。子どもの時に聞いて、このフレーズがおもしろく、そして不思議な安心感があったことを覚えています。それ以上の安心感がこの55章1節にあります。「渇きを覚えているものは皆、水のところに来るがよい。」中東では水は貴重なのです。しかし、それを代価を支払うことなく、飲むことができ、穀物や、葡萄酒や乳も食べ放題だというのです。しかも最上級のものを、神様に聞き従えば食べることができると聖書は語るのです。ある英語訳は2節を「ジャンクフードを食べるな、コットンキャンディ(綿あめ)のようなものに支払うな」とありました。本当に満たされるものを求めよ、というのです。聖書は食べ物の先にある心、魂が満たされることこそが何よりも重要だと語ります。「魂に命を得よ」と。最近有名な女優が違法薬物をもっていたことが話題ですが、まさに薬物は心のジャンクフードです。違法な薬物でなくとも、私たちは心の飢え渇きを、何かに依存することによって満たそうとします。アルコール、ギャンブルなど典型でしょう。だからこそ、聖書は6節「主を尋ね求めよ、見出しうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに」と私たちが心の闇に引きずり込まれる前に、「来て見て、聞け」と私たちを本当の愛で満たしてくださる方を指し示すのです。

 しかし、そのような神の思いは、時に私たちの思いと異なると聖書は語ります。私たちが神様に期待するのは、自分や家族の健康、仕事の成功などほぼ自分勝手な願いです。そのような自己中心的な私たちでも、神様は私たちの願いごと、神ご自身の目的のために用いられるのです。だから私たちは臆せず、何でも願うことができますが、その願いは神様の御心に沿った形でしかかなわないのです。私たちの願いがかなっていないとその時は思えても、後から考えてみるとそこに最善があることを『病者の祈り』は語ります。神様は、私たちに必要なものを用意してくださっています。

 

 

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