渋沢教会
更新日:2020.3.14

12月1日 御言葉の説教「クリスマスの不思議@系図」

大井 啓太郎牧師
歴代誌上3:1〜15
マタイ1:1〜17

 

 マタイによる福音書の冒頭にある系図は、聖書に触れたばかりの人には大きな壁となりますが、当時のユダヤ人にとって「系図」は伝記を書くときには必ず最初に書かれた重要な物でした。著者マタイは主イエスがメシア(キリスト)としての正当な継承者であることを示す必要があったのです。ですから、マタイによる福音書ばかりでなく、新約聖書全体がこの系図から始まっていることは、大きな意味があったのです。

 しかし、このマタイの系図にはある「意図」が隠されています。17節に「全部合わせるとアブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住が14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代である」とありますが、歴代誌によれば、3人の王の名前(アハズヤ、ヨアシュ、アマツヤ)が省略され、ヨシヤとエコンヤの間のヨヤキムも省かれています。これは知らなかったのではなく、ダビデを想起する『14代』にしようとマタイが考えた結果なのです。また、この系図には、女性の名前、タマル、ルツ、ラハブ、ウリヤの妻バテシェバがあげられていることです。当時のユダヤ人の系図に女性の名前が出てくるのは異例なことでした。そして、旧約聖書に出てくる彼女らの生い立ちや職業は決して誇らしいものではなく、逆に罪の現実を想起させるものや、理解し難いものでした。しかし、それは女性ばかりの問題ではなく、ダビデ王以降の王はそのほとんどが、神の前に偶像崇拝という悪を犯しており、誇るべきものではなかったのです。

 以上このマタイが記した系図から分かることは、ユダヤ人に対して、イエス・キリストがダビデの子孫であることを証明しようとしていること。また異邦人や女性の名前を入れることによって、ただユダヤを救うメシアではなく、異邦人を含めて全人類の救い主であることを教えるために書かれたということが分かるのです。私たちはこの系図を見て、その神の約束の確かさばかりでなく、神の愛の深さも知るのです。主は全ての人のために、特に「罪人を招くために」来られた事を私たちは知るのです。

 

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