渋沢教会
更新日:2020.3.14

12月15日 御言葉の説教「クリスマスの不思議Bイエスの父親」

大井 啓太郎牧師
詩編25:1〜11
マタイ1:18〜25

 

 降誕物語においてヨセフの役割は、子どもたちが行う降誕劇のように、羊飼いや東方の学者よりも低いように見えますが、果たしてそうでしょうか?

 ヨセフは、マリアと同様、その時代の普通に生きていた人でした。ガリラヤの片田舎ナザレの町で大工をしていたのです。そしてヨセフは、婚約者のマリアから身に覚えのない妊娠を聞かされて、悩みました。ユダヤの律法では婚約中の不貞は死罪でしたが、マリアを愛していたヨセフは公にすることなく、密かに離縁しようとします。しかし、天使が夢に現れて、「ダビデの子、ヨセフ、その子は約束された神の子だから、おそれず妻に迎えよ」と、聞かされるのです。最初はたぶん、「まさか」とおもったと思うのです。まさか大工の自分にそんな大それたことが起こるはずはないと思ったに違いありません。しかし、ヨセフは信じるほかなかったのです。私は最初のイエス・キリストの信仰者、最初に希望を与えられた人物、それがヨセフと思うのです。次の朝、起きた時には、もう彼の心には迷いはなく、マリアを妻にし、その後、人口調査のために生まれ故郷のベツレヘムへ旅し、イエス様が生まれた後もヘロデの手を逃れるために家族を守ってエジプトへ旅しました。彼が何を考えていたのか、不思議と聖書には一言も彼の言葉は出てきません。しかし、この無言の中に、彼の誠実な信仰が見えるように思うのです。主イエス・キリストはこの父から、多くの正しい事を学んだのです。

 ヨセフは、自分にとって最善と考えられる離縁するという方法ではなく、神を信じ、この母子と共に生きる道を選んだのです。それは大きな決断だったのです。そしてこの決断は、2000年以上たった今、私たちにも与えられる決断でもあります。「共に生きる」口で言うのは簡単ですが、それは多くの犠牲も困難も経験します。私たちはどれほど人のために、人と共に生きているだろうか?アフガンで倒れた中村医師は私たちにそのような宿題を残されたように思うのです。

 

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