渋沢教会
更新日:2020.3.14

2月2日 御言葉の説教「神に従う道」

大井 啓太郎牧師
イザヤ58:1〜14
マタイ9:14〜17

 

 聖書には、断食についてしばしば記事が出てきます。「モーセは神の山にいる40日間断食をした」と出エジプト記34:28にあり、神が聖なる日をさだめ、苦行を命じている掟が出てきます。今日でもユダヤ教徒は年に6回の断食の日が定められており、その中でもレビ記16書をもとに行われているヨム・キプルと呼ばれる贖罪の日は、食べ物と水を完全に断ち、さらには食べ物の匂いをかいだり、薬を飲んだり、歯を磨くことさえも禁止されているそうです。主イエス様もまた、荒野で40日の断食をされ、マタイ17:21の欄外には、祈りと断食によって悪霊を追い出すという言葉が加えられています。他の宗教でも、神に近づくという目的で、断食がおこなれています。

 そのように宗教的に重要視された断食ですが、同時に、その本質が見失われやすい行為であったことも確かです。主イエス様の時代にはファリサイ派の人々は週に2度(月・木)断食をしていた(ルカ18:12 )のです。主イエス様はこの行為の中にある偽善を戒められたのです。断食そのものが主目的になってしまったり、その効果が主目的になってしまう。また、断食をしたことがあるというその経験を得ることが、主目的になってしまう。

 今日の個所で愛の実践こそが、本当の断食(宗教的行為)だと語られています。この言葉は、私たちの信仰生活の土台でもあり、目標です。神への愛・人への愛という視点から断食を考えて見れば、決まりきった、しなければならないような断食などなく、だれより、主イエスは断食以上の神の国にはいるためのよい知らせがここにあると、ご自身を現されました。飽食の日本にあって世界市民としてなさなければならないことは本当に多くあるはずです。自らその時その時、考える事、それが大切です。そうすれば真の施し、真の祈り、真の断食へと導かれるのです。隠れたところで隠れた事を見ておられる天の父なる神だけに私たちは目を向けましょう。

 

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