渋沢教会
更新日:2020.3.14

2月9日 御言葉の説教「神の手」

大井 啓太郎牧師
イザヤ59:1〜21
ヨハネ3:31〜36

 

 掲示板の「神の手」という説教題を、この手の素晴らしさを少しでも知ってもらうために手という字を漢字ではなく絵にしてもらいました。「手」というのは力の象徴です。出エジプト記15章や詩編118編にあるように、神様が何かをなされるとき、その手が動かされるのです。しかし願いがかなわないと私たちは「神の手が短かくて救えないのか」と思ってしまう。しかし聖書は、神の手が短いのではなく、われわれ人間の悪が、神と人の間に隔てを作り、神の顔を隠れさせ聞けなくさせているのだ、と語るのです。確かに、神様を信じていない人ほど、神は何もしてくれないといい、祈ってもいないのに祈りが聞かれないというのです。

 東日本大震災の時、教会に向かって酔った男性が「神も仏もいない」と叫んでいました。確かに、私たちは困難に直面すると、「神様はなんでこのようなひどいことをされるのだろうか」と神様の存在が揺らぎます。しかし、本当に神を信じているものであるなら、神様がそのままにされるお方でないことも知っています。万事を益として下さることを、経験から知っているからです。

 ローマの信徒への手紙 8章 28節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」また、コリントの信徒への手紙一 10章 13節には「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」とある通りです。

 イスラエルの人々は、長い捕囚からエルサレムに帰還しましたが、そこは決して楽園ではなかった。元のバビロンでの生活のほうがよかったという人もいたでしょう。しかし、神は、捕囚の時の民の叫びを聞き、ユダヤの民に最善を約束してくださっていたのです。わたしたちにもまた、神は最善を約束してくださっている。投獄され死の間際まで平安の中で生きたボンヘッファー牧師のように。

説教詳細は休みます