渋沢教会
更新日:2020.3.20

3月8日 御言葉の説教「黙してはならない」

大井 啓太郎牧師
イザヤ62:1〜12
IIテモテ4:1〜15

 

 新型肺炎対策として3 月末まで、インターネット中継を行いますが、聖餐式を今月は中止にいたしました。どうぞ共に終息を祈り求めていきましょう。

 イザヤ61 章で語られた言葉は、ルカ福音書において主イエス様が、「この聖書の言葉は、今日あなた方が耳にしたとき実現した」と、預言が成就したことを語られました。そのような時代を超えた預言なのですが、もとはイザヤが生きた時代、エルサレムに帰還した人々と、残っていた人々が、荒廃したエルサレムと神殿を再建しようとしていた時代に、この言葉は語られているのです。

 そのために、神の言葉を取り次ぐ者は、決して黙っていてはいけないのです。神の言葉を取り次ぐ者が黙るということは、人々の心から正しさが失われるということを意味します。それはあたかも灯台の光が消え、帰る港が分からなくなってしまう船のようになってしまうということです。だからこそ、黙すわけにはいかないのです。さらに、「主の沈黙を招いてはならない(7節)」のも主の言葉を 取り次ぐ者の役割です。このことで思い出すのが、アブラハムが神様から譲歩を引き出す創世記18 章の物語です。ここでアブラハムは悪徳の町ソドムとゴモラに住む正しい人のために、町を滅ぼすという主なる神の言葉にあえて逆らい、町を救おうとします。結局町にはたった10 人の正しい人がおらず、滅ぼされてしまいますが、アブラハムは神様に対して一生懸命語り、神様の言葉を引き出している。まさにこのようにとりなすのが、6 節の「主に思い起こしていただく役目の者」の仕事です。現代においてその働きは、このみ言葉を聞く私たちに託されています。主が愛し守ろうとされた貧しく、傷ついた人々のために、神様が主イエス・キリストの十字架によって私たちをすでに救ってくださったということを 伝え、神様は私たちを愛されていると祝福を宣言するのです。そのことが神様の愛を知る私たちの使命、ミッションです。主の祝福は、エルサレムを「捨てられた女」と形容されるような状態から「夫を持つもの」と呼ばれるような状態に変えられました。そのように私たちもまた主から変えられた者たちです。

 

説教詳細は休みます