渋沢教会
更新日:2020.3.29

3月15日 御言葉の説教「解放と自由の代償」

大井 啓太郎牧師
イザヤ63:1〜6
マルコ13:3〜13

 

 「主の報復」。イザヤ書はこれまでも、国が滅びたのは、神に背いたその報いであると私たちに語ってきました。そしてアッシリアやバビロニアがそうであったように、神様はあらゆるものや事柄を用いて、立ち返らせようとする。主なる神が「彼ら」を踏みつけ「彼ら」を踏み砕いたというのです。「彼ら」とは、その前に言われている「諸国の民」のことですが、諸国の民とい うと、ユダヤ以外 の人々を指し ているように思ってしまうのですが、今度公用聖書として認められた協会共同訳では「もろもろの民」と書かれています。すなわち、ユダヤも含めたもろもろの民と考えるべきなのです。ですから、この聖書箇所は、イスラエルの救いのために書かれたことには違いないのですが、単に国としてイスラエルが救われるということではな く 、人類としての救いとその対極に位置するさばきについて記されていると考えるべき聖書箇所なのです。贖いの年、主に従う人々にとって解放と自由の年ですが、従わない人々にとって、それは苦難の年 、さばきの年となります。マル コ福音書 13 章で主イエス様は「その日」について語られています。それは決して従う 者 にとっても、うれしい現実ではありません。苦難の始まりです。

 しかし、私たちクリスチャンには、主イエス・キリストの贖いがあります。私は思うのです。私たちが瀕死の病人と考えると、悪い部分を摘出するために、手術が必要であり、手術の後には、体を縫合して体力を回復することが必要なように、旧約聖書は いわば神様のメスです。私たちの罪の現実を直視させ、そして、新約聖書において、私たちは手術台に乗り、「その日」を迎える のです。それは痛みを伴い ますが、すべてが終わると、そこには新しい世界が広がっているということなのだろうと。

 これから私たちは時代の終わりに向かってますます様々な困難に直面するでしょう。しかし、マルコ 13 13 に記されているように「最後まで耐え忍ぶものは救われる」のです。

 

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