渋沢教会
更新日:2020.4.18

4月5日 御言葉の説教「イエス様、殿中でござる!」

大井 啓太郎牧師
ゼカリヤ9:9
ヨハネ2:13〜22

 

 子ロバに乗ってエルサレムに来られた主イエス様を民衆は、繁栄の象徴である棕櫚(なつめやし)の葉をふって出迎えました。そしてイエス様一行は、エルサレム神殿に行き、そこで商売人を見つけて「ここは父の家だ、商売の家にするんじゃない」と商売人たちを追い出したのです。当時のエルサレム神殿はヘロデ大王によって神殿の大改修がおこなわれ、それは壮麗なものでした。ここでは、牛や羊が捧げものとして焼かれたり、献金が捧げられたりしたのですが、傷ついたもの、汚れていてはダメということで、いわば「エルサレム神殿印」の間違いのない牛や羊、お金も専用の硬貨に交換されていたのです。そのような儀式的で流れ作業的な礼拝と、コンビニエンスストアのように何でもそろっている屋台を見て、主は憤り、商人たちの屋台をひっくり返され、売り買いしていた人たちを追い出されたのです。イエス様はエルサレム神殿という殿中でこの騒ぎを起こしたのです。主イエス様は、律法と祭儀を中心とする人々の生活を、その中心である神殿においてはっきりと否定されました。ですから、祭司や律法学者といった人々のイエス様に対する敵意は、この宮清めの出来事によってはっきりし、彼らは主イエス様を殺そうと企てたのです。

 ただ、内容的には、ヨハネ福音書は大きな違いがあります。それは、最初に行った奇跡であるカナの婚礼で水をワインに変えた後に、この宮清めの記事が置かれているのです。この宮清めが何度かあった出来事なのか、断言はできません。しかし、ヨハネが主イエス様の物語の最初のほうにこれを書き記したということは、時系列にこだわらないヨハネだからこそ、この物語の重要性を伝えているのではないかと思うのです。では何を言おうとしているのか、それは捧げものが中心でない新しい礼拝、霊と真をもってささげる礼拝ということです。この度のコロナウイルスの流行により礼拝もネットで配信されるようになりましたが、一体感という意味では、物足りなく感じておられる方も多いでしょう。やはり一つのところに集まって捧げる方がうれしいのです。しかし、霊と真をもって礼拝するということは、場所ではない、と私たちに教えているように思うのです。

 

 

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