渋沢教会
更新日:2020.7.30

7月12日 御言葉の説教「救いの系譜」

大井 啓太郎牧師
ハガイ2:1〜4
マタイ1:1〜17

 

 マタイによる福音書を書いたマタイ(レビ)は元徴税人で、異邦人であるロー マ帝国の片棒を担ぐ汚れた仕事をする者として嫌われていました。そのような者 に主イエス様が語り掛け、「わたしが来たのは正しい人を招くためでなく、罪人 を招くためである」と招かれたことが、どれほどの喜びであったか。彼は、その おかれた立場から、よりイスラエルの救いを願っていた人物であり、預言が成就 したことを示すために旧約聖書から、多く引用してユダヤ人に説明しようと試み ています。そのために、今日のこの冒頭には、救い主として確かな系図が必要と なってくるのです。現代人にとってこの系図はあまり意味を感じないものですが、 当時のユダヤ人にとっては「系図」は伝記を書くときには必ず最初に書かれた物 であり、重要な物でありました。ネヘミヤ記7章には捕囚から帰還した人々の人 数が記されて居ますが、家系図が見付からなかったために、祭司になれなかった 人々がいたと書かれています。(7章 63 節)マタイは、主イエス・キリストが間 違いなく、旧約聖書に書かれているメシアとしての救いの約束がこの人に確かに 引き継がれていること、また、メシアとしての正当な継承者であることを示す必 要がありました。

 しかし、私たちはこの系図を見て、単に、その神の約束の確かさばかりでなく、 神の愛の深さも知るのです。この系図には 4 人の女性の名前が出てきますが彼女 らの生い立ちや職業は決して誇らしいものではなく、逆に罪の現実を想起させる ものや、理解し難いものでありました。又ダビデ王以降の王はそのほとんどが、 神の前に偶像崇拝という悪を犯しており、誇るべきものではありません。

 しかし、だからこそ主は全ての人のために、特に「罪人を招くために」来られ た事を私たちは知るのです。その系図に現れる人々は決して立派な人々ではあり ませんが、主は間違いなくそのような罪を抱えた人間の歴史の中に飛び込んで来 て下さったのです。私たちは、この福音書を通して、私たちと私たちに続く人々 への神の変わらぬ愛を知りたいと思うのです。

 

 

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