渋沢教会
更新日:2020.10.17

10月11日 御言葉の説教「主イエスの教えE祈り」

大井 啓太郎牧師
コヘレト5:1
マタイ6:5〜15

 

 祈りとは神との交わりであり、対話ですから、どの宗教でも最も基本をなすも のです。主イエス様は、何に注意するように語られたのでしょうか。人前で祈る のは苦手な方は何をどう祈っていいのかわからない。緊張して言葉がうまく出て こない、と言われます。しかし、そのような時の心境は、神様に対してというも のではなく、人に対して上手な言葉で祈ろうという下心があるから、緊張してし まうのです。心に響く祈りをしようとする気持ちと、また、人の賞賛を望もうと する気持ちによって、祈りにおける偽善が生まれてしまうのです。

 主イエス様は、当時のユダヤ社会の祈りにおける偽善を戒められました。偽善 の偽の字は「人の為」と書きます。主なる神様に対してではなく、人に対して自 らの信仰心を誇示しようとするパフォーマンスの祈りを戒められたのです。です から、主は「戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」と語 られたのです。しかし場所が重要なのではありません。(マタイ 18 章 19-20 節参 照)真実に祈れば、いつでも、どこでも、誰とでも祈れます。

 次に主イエス様は 7 節「くどくどと述べてはならない」と戒められています。 長いお祈りは他から見れば信仰深く思えますが、何を祈っているかが問題です。 祈りの時に「この短い祈りを…」とか、「足らざる祈りを」は言う必要はないの です。主なる神様は、願う前から必要なものを知っていてくださるからです。

 そして、イエス様は、私たちに祈りを教えてくださいました。それが「主の祈 り」です。

 主の祈りを読むと、主なる神様に肉親に対するように呼び掛け、天の国の到来 を願い、他者を赦す。ほんの一言、毎日の糧を今日与えたまえと、生活が守られ ることをつつましく祈ること以上のことは必要ないことが分かります。

 私たちは、いろいろな願いを祈ります。しかし最終的に様々な願いをそぎ落と していき、主の祈りでよいと思えるようになることが、きっと祈りのゴールなの でしょう。もっともっと私たちはこの主の祈りに自らを投げ込まなければなりま せん。

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