渋沢教会
更新日:2020.10.25

10月18日 御言葉の説教「主イエスの教えF断食」

大井 啓太郎牧師
イザヤ58:3〜5
マタイ6:16〜21

 

 日本には神仏に願う時、物断ちやお百度参りがあります。断食も、自分の信心 を神に見てもらい、願いを成就するために、また、修行として食欲という欲を意 思によってコントロールし、心の平安「悟り」を得るために行われます。

 キリスト教会もそのような目的のために断食が行われもしましたが、ユダヤ教 を精神的母体とするキリスト教の断食の主目的は悔い改めです。主なる神様に対 して罪を犯してしまった神の民イスラエルは贖罪と悔い改めのしるしとして断 食をしました。食べるという人間にとってなくてはならない活動を止めることに よって主なる神様に対して帰順を示したのです。

 主イエス様が生きておられた時代、公には年に5回の断食の日が定められてお り、悔い改めたいことがあれば、自由に断食をしていました。しかし、当時ファ リサイ派の人々は週に2度月曜と木曜に断食をし、人より更に清くなろうとして いました。神だけを見上げずに人を見る。そこに偽善が入って来たのです。人の 賞賛を得ようとして多めに頭から灰を被ったり、苦しい顔をしたり、その服を裂 いたり。そのような偽善によって尊い行いである断食が汚されていたのです。

 主は「富は天に積みなさい」と言われました。偽善的なものは全て地上のもの です。施しも祈りもそして断食も人に対してなされるなら、それは地に属するも のとなってしまいます。「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」とい う言葉は、非常に厳しく、真実をついた言葉です。いくら祈っても、いくら施し ても、いくら断食しても、心が、天になければ私たちに平安はありません。ただ 神様に対して誠実に行えばいいのです。神への愛・人への愛という視点から断食 を考えて見れば、決まりきった、しなければならないような断食などなく、だれ より、主イエス様は断食以上の神の国にはいるためのよい知らせがここにあると、 ご自身を現された、その事を感謝すればよいのです。隠れたところで隠れた事を 見ておられる天の父なる神だけに私たちは目を向けましょう。

 

 

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