渋沢教会
更新日:2020.11.15

11月8日 御言葉の説教「主イエスの教えI豚に真珠」

大井 啓太郎牧師
箴言11:22
マタイ7:1〜6

 

 マタイ7章は聞く私たちに厳しい内容になっています。主イエス様はそれまで の「偽善者のようであってはならない」という語り掛けから、「偽善者よ」と聞 く弟子たちの心にある偽善性に鋭く迫るのです。弟子たちは律法学者・ファリサ イ派の人々の偽善的態度について、主イエス様の言葉によって弟子たちは理解し たことでしょう。しかし、同時に別の感情が弟子たちや聞く者の心の中に起こっ て来たのです。「律法学者・ファリサイ派は悪いやつらだ」。まさに、今日の主題 である、裁きが行われたのです。私たちもしばしば、客観的にではなく人を自分 の価値観で判断してしまいます。裁くという事は相手と自分を分け隔てる、関係 の断絶を意味するのです。主イエス様はマタイ5:44 で「敵を愛しなさい」とお っしゃられました。愛するという事と裁くという事は両立しません。裁くとは本 来神の業なのです。その主なる神ですら、私たちを愛し、御子イエス・キリスト をこの世に送り、罪に定められるべきこの私たちを救って下さり、裁きの日を更 に延ばされ、福音が世界中に広まり救われる人が起こされるのを待っておられる のです。そのような神の恵みを忘れ、自分の罪を過少評価し、他の人々の罪をあ げつらうという事が、どんなに主なる神様を悲しませる事であるか、私たちは知 らなければなりません。

 裁かないようにするには相手の心を理解するということ。まず相手の立場にな って考えてみる。自分の物差しで相手を測らないという事です。また、自分の心 をいつも神様の前に差し出すということも大切です。人と接する時は「やいゆえ よ(優しさ・労り・ゆとり・笑顔・喜び)」の気持ちを持ちましょう。

 「豚に真珠」という言葉も、「偽善者よ、裁くな」という流れから解釈するなら、 福音のすばらしさ(真珠)を分からない側(豚)に問題があるのではなく、それ を投げ入れようとする側(弟子、私たち)への警告と解釈できます。その価値や 意味が分かる形で伝えなくてはならないということです。相手の心を理解し、自 分の心に偏見がないかよく吟味することを大切にしたいと思います。

 

 

 

説教詳細は休みます