渋沢教会
更新日:2020.11.22

11月15日 御言葉の説教「主イエスの教えJしてもらいたいことをせよ」

大井 啓太郎牧師
エレミヤ29:12〜14
マタイ7:7〜14

 

 聖書を知らない人でも格言として聞いたことがある、「求めよ、そうすれば与 えられる」は、一般の辞書によれば「努力すれば報われる」という意味ですが、 聖書は、そうは言っていないのです。主イエス様が言われた事、それはマタイ 6:33 にある「まず神の国と神の義を求めなさい」という事です。天の神は私たちの父、 親のような愛情の持ち主なのです。全ての愛の源なのです。だからこそ罪人であ りながら私たちは神の国と神の義を求める事ができ、見出だす事ができるのです。

 しかし、同時に神の国と神の義はたやすく見出だす事ができない事も知らなけ ればなりません。ここでいう「狭い門」とは私たちが身をかがめ、謙遜な気持ち で、一生懸命になって求める事を暗示した譬です。全人生をかけて、主イエス様 に従うということなしには、私たちは自分勝手に自分が望む道、すなわち滅びの 道を歩むことになるのです。しかし主イエス様は天から来られ、また天に帰られ た御方です。命の道・命の門をよくご存じの方であり命の道・命の門そのものな のです。主に従うならば、私たちはその門に至る事ができる。そしてその門の中 に入ることができるのです。

 「人からしてしてほしいと望む事は、人にもそのようにせよ」この言葉は黄金 律(ゴールデン・ルール)と呼ばれる、人類の最も輝かしい倫理です。古代ギリ シャの格言やユダヤ教、さらには孔子の教えにも「あなたがしてほしくないこと を他人にするな」という言葉はありますが、主イエス・キリストが語られた言葉 はより積極的な愛の教えです。それはこの世界の汚れをそのままにするのではな く、愛によってこの世界の罪の汚れを聖め、破れ、断絶している人の心を繕(つ くろ)う御言葉なのです。

 私たちは自分がしたいことをしています。これが私たちの行動の原理です。し かし、これだけでは社会は自己中心の恐ろしい社会になってしまいます。神の民 として身に付けるべきマナー、それが、「してほしいと願うことを相手にする」 ということなのです。しかし、これすら私たち自身では成し得ません。「求めな さい、そうすれば与えられる」という主なる神様のお力にすがるほかないのです。

 

 

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