渋沢教会
更新日:2021.2.8

1月31日 御言葉の説教「信仰の旅@準備」

大井 啓太郎牧師
出エジプト20:12
マタイ8:18〜22

 

 主イエス様の働きは、まだ南部のエルサレムや、ガダラと呼ばれるガリラヤ湖 の対岸には及んでいない時でありました。主は、住んでいたカファルナウムから 離れて、このガダラを皮切りに本格的な宣教の旅に出かけようとしていました。 また、弟子たちの中から 12 人を選び、弟子たちを二人組にして地方に派遣しよ うとしていた時期です。主イエス様が弟子たちに、「向こう岸に渡ろう」と命じ た言葉には、 こ の よう な 新しい働きを 始める意味があったのです。

 その時、その主の言葉を聞いていた律法学者がいました。彼は言います。「先 生、あなたがおいでになるところなら、どこへでも従ってまいります。」 彼にと って、 イエス様 は 救い主ではなく、先生だったのです。イエス様は「狐には穴が あり、空の鳥には巣がある。だが人の子には枕するところもない」と直面するで あろう困難な状況を語ります。彼がそのような状況に至った時、自分 の律法学者 という立場を捨ててまで従えたかどうか、主の苦難にまで従う思いであったか、 聖書には書かれていません。また別の人が、主に「まず父を葬りに行かせてくだ さい」と言いました。イエス様は、「私に従いなさい。死んでいる者たちに、自 分たちの死者を葬らせなさい」と自分を優先することを求めました。父と母を敬 うことは人として最も大切な思いです。しかし、弟子にとって主は父親以上の存 在であり、福音を伝える仕事は死んでいた者を生きかえらす仕事に他なりません でした。彼もまた、主に従ったかどうか聖書には書かれていません。主の言葉 を 聞いて思い直したのか、それとも家族を優先したのか。その答えは私たち自身の 信仰の姿だと思うのです。

 聖書の中のイエス様の言葉をみると、一つの事実に気づきます。それは熱心に 従おうとする者には、「家族のもとへ行きなさい」といい、迷っているものには 「私に従いなさい」と語り掛けるということです。ただ、主から語り掛けがあっ た時、まず従うということを優先すれば、その先のことは、主が最善をなしてく れると思うのです。信仰の旅で最低限必要なもの、それは主に従う思いです。そ れだけを頼りに、私たちも主に従っていきましょう。

 

 

 

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