渋沢教会
更新日:2021.2.21

2月14日 御言葉の説教「信仰の旅B彼らが見たもの」

大井 啓太郎牧師
サムエル記上ト16:21〜23
マタイ8:28〜34

 

 主イエス様はガリラヤ湖対岸のガダラ人の地に着き、そこで悪霊に心を支配さ れていた者たちに出会いました。彼らは主イエス様を見るや否や「自分と関わら ないでくれ。まだその時ではないのに…」と言いました。「その時」というのは、 世界が完全に神の支配のもとに立ち返る時のことです。彼らは、イエス様に立ち 去ることを要求しました。そして悪霊はそれが無理と知ると、今度は、豚に乗り 移らせてくれと要求します。そして、イエス様がそれを許されると、なんと豚は がけから湖に飛び込んで、死んでしまったのです。重要な食料であり財産であっ た豚ですから、大事な財産を失う羽目になったガダラの人々は、悪霊から解放さ れた人の無事を喜ぶのではなく、主イエス様に出ていってくれ(関わらないでく れ)と主を追い出すのです。彼らにとって主は嬉しくない訪問者でした。

 この出来事には、イエス様、弟子、悪霊と悪霊に取りつかれた人、豚、町の人々 が登場しますが、彼らは、同じ場所にいながら全く別のものを見ていることに気 づかされます。イエス様は、悪霊によって人生が台無しにされた者への憐みの心 で、弟子たちは、きっと凶暴な人への近寄りがたい思いで見ていたでしょう。悪 霊は救い主イエスではなく、自分たちを滅ぼす存在として見ており、町の人々は、 自分たちの財産が奪われたという目でイエス様を見ています。ただ、悪霊から解 放された人だけが、主イエス様によって救われたことを喜び、新たな人生を見つ めています。皆さんは誰の視点にいちばん共感するでしょうか?近いでしょう か?…私は思うのです。福音ではなくこの世の生活を大切にしてしまう町の人々 こそ、己の姿ではないかと。

 今、私たちの世界はコロナ禍で、絆が断ち切られて、地震の時のように暗闇の なか、何もわからず、心細く孤独に追いやられたようになっています。しかし、 私たちには主が共にいてくださるのです。マタイ福音書には書かれていませんが、 並行記事であるマルコ福音書ではこの悪霊にとりつかれた者が福音の使者とし て人々に主イエス様の素晴らしさを伝えています。私たちもまた、喜ばない者か ら喜ぶ者へ変えられましょう。そして、万事を益として下さる主の救いの目撃者 となりましょう。

 

 

 

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